イラク人質事件の

ゲーム理論による戦略分析

 

 

 

2004年4月11日

 

京都大学情報学研究科

逢沢 明

 

 

 イラクで日本の民間人が3人、人質になりました。ご家族のご心配はたいへんなものとお察しいたします。これは自衛隊の撤退期限ぎりぎりの時刻に書いた文章です。以前に、「人質を取られたとき、けっして交渉しないのがイスラエルの戦略だ」と『ゲーム理論トレーニング』(かんき出版)に書きましたので、今回の事件について少しコメントさせていただきます。

 

 国際的には、人質事件で交渉しないのはごく常識的な戦略です。ですから、海外からも日本政府がこの戦略を要求されたことと思います。また、従来から日本でも、海外での人質事件では普通にこの戦略を用いてきました。ただ、今回の場合は、自衛隊派遣という背景がありましたので、それをそのまま踏襲するのは、はたして常套的な戦略だったかと疑問に思います。

 

 このような事件では、通常、「仲裁者」が最も優位な立場にあります。したがって、マスコミでも多くの方が述べているように、相手と交渉ルートをもつ仲介者を立てて、「交渉」を行うという戦略が常套手段となります。日本経済新聞で軍事アナリストのO氏は、「米英の特殊部隊とともに突入せよ」と述べていましたが、これはあきれた意見というしかありません。

 

 また、日本のような国では、別のユニークな戦略もあります。海外から見ると、日本は「武士道の国」ですから、「政治家が人質の身代わりになると申し出る」という戦略です。かつての「よど号事件」でこの戦略が使われました。たとえば首相経験者クラス(森前首相など)のうちなどで、このような勇気のある実力者がおられると、「日本はすごい国だ」ということになるのですが、残念ながら04年4月11日の時点では誰もおられなかったようですね。

 

 戦略としてありえても、誰も実行できる人がいない、ということはありますが、今後も同様の事件が起こるおそれが高いですから、さらに高度な戦略についても述べておきましょう。戦争に日本が関与するのがいかにたいへんなことかとおわかりいただけることと思います。

 

 たとえば、「人質解放の予告報道」というのは、非常に高度な戦略となることがあります。今回は、このような報道が行われ、おそらくもうすぐその結果が判明してくると思いますが、ほんとうに人質の皆さんが解放され、円満に解決される以外の道筋も考えておかなければなりません。

 

 非常に低レベルな戦略の例としては、日本政府が勝手に「人質解放の予告報道」を流すというものです。イラクに協力者を得て、そのルートから流します。理由はなぜかというと、イラクで交渉相手さえ見つからず、事態がいっこうに進展しないので、日本国民への目くらましにするというもの手です。そうこうしているうちに、時間が経って、人質に犠牲者が出た場合、イラクは卑劣だと言って、イラクこそ悪者だと非難するのです。そして、日本政府は全力を尽くしたのだから、なんら責任はないとするものです。

 

 一方、別の高度な戦略の例としては、イラク側がわざわざこの手を使うというものです。「人質解放の予告報道」を流しながら、気の毒にも人質を犠牲にします。そして「われわれはそんな報道はしていない。卑怯な日本政府が、日本国民を欺くためにデマを流したのだ」と言って、日本政府を非難します。その結果、日本の国際的信用を失墜させ、日本を窮地に追い込もうという作戦です。数人によるゲリラ的な人質作戦が、日本側に非常に大きなダメージを与えうるわけです。

 

 あるいは、イラク側の実行部隊のごく常套的な戦術としては、日本がすぐに自衛隊を撤退させそうもないと読んだため、人質解放を予告することによって、時間かせぎをするという作戦がありえます。したがって、人質解放を唱えながら、どんどん条件を出していって、自衛隊の撤退か、人質の殺害かと交渉するわけです。切り札となるカードは彼らが握っていますので、このような交渉を有利に進めやすいわけです。

 

 また、人質解放の予告は、日本側の交渉力や対応力を試している段階だと読むこともできます。つまり、プロセスを何段階か経ることによって、日本側の能力を読んでいるわけです。イラクの実行者たちはあの手この手を使いますが、日本側は、仲介者を通じて、金を払うなどの単純な交渉しか行っていないならば、日本はかなり無能だと読まれてしまい、イラクの実行者たちになめられてしまいます。そして、以後のイラクにおいて、日本の人道復興支援は、金をばらまく程度で、本来の人道援助から程遠いものかもしれない、とイラク国民に感じさせてしまうのです。

 

 イラクはいまだに戦争状態に準じる状態ですから、従来の外交常識が通じるとはいえません。上記で書いた戦略には、平和時においてはほとんど使われないものもあるわけです。それほどたいへんな状態なのが戦争だということをおわかりいただきたいと思います。虚々実々の情報とかけひきが錯綜するわけですが、ぼくたち日本人にしたところで、日本政府からほんとうの情報をすべて知らされているのではないのだろう、ということにも注意しなければなりません。つまり、日本政府でさえ、ほんとうのことを言わないのだから、イラクの実行者たちが何を考えているかなど、ほとんど闇の中だというわけです。

 

 ぼくが漠然と思うに、日本は根本のところで、「最初の戦略を誤ったのではないか」と、ゲーム理論の研究者の一人として心配しています。最初の方で触れたように、「最も優位な立場にあるのは仲裁者」です。日本の場合、「戦争放棄」宣言をしていますので、この「最も優位な仲裁者」となれる世界でも稀な国だったのです。戦争が起こるたびに、「平和のための仲裁者」として仲裁に入り、国際的に信用度を高めていくのが、最も強力な戦略なんですけどね。

 

 今後、国内でテロが起こったり、日本人が海外で犠牲になったりするよりは、日本ももっと国際外交ゲームの達人になってほしいものです。政治家や官僚の皆さん、ゲーム理論という「戦略と交渉の科学」を真剣に勉強なさってみてはいかがでしょうか。(そういえば、ぼくも昨年、永田町で講演を頼まれましたが、忙しくてやらなかった覚えがありますが。)

 

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(4月12日昼休み追加)

 

 案の定、まだ進展がありませんね。少し補足します。

 

(1)時間稼ぎをしたいなら、「大物政治家を送る」と宣言するのがいちばんです。外相は民間人閣僚なのでだめ、防衛庁長官は筋違い、お年寄りは引退してしまったので、総理経験者級などの大物は限られるでしょう。表向きは「交渉しない」という方針であっても、何とでも理由をつけて派遣できるでしょう。

 

(2)ファルージャの停戦中に、自衛隊は人道援助でファルージャに早く入るべきでしたね。医療チーム派遣と援助物資の配給です。人道援助ですから、丸腰であるべきです。平和主義を掲げ、「自衛隊は、非戦闘地域でないと活動できないのだから、自衛隊のいるうちは停戦だ」と言って居座るなら、やんやの喝采を浴びることでしょう。志願者はいないんですか?

 

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(4月12日夜)

 

 そもそも自衛隊派遣を決める際に、「これこれの状況のときはどうする」という計画をきちんと立てて、ほんとうにまともに自衛隊を派遣できるのかどうか詳しく分析しておくものなんですけどね。民間人の人質を取られただけで、もう身動きできない計画だというのでは、派遣する能力に欠けていたと言うしかないのかもしれません。

 

 自衛隊を派遣することによって、状況が変わります。日本の民間人にとって比較的安全だったかもしれない状況が、自衛隊派遣で一変してしまったのです。その点で、民間人のイラク入国に対して厳重な注意を促すべきでしたが、「イラクにも安全なところはある」と強弁することによって、その機会を逸してしまわざるをえなかったのでしょうね。ということは、人質事件の背後には、政治責任があったと判断されかねないわけです。

 

 政治家はイラクに入らない、自衛隊も動かないとなると、アメリカに泣きつくという、いつもの手を使っているんでしょう。田中真紀子前外相は民主党に移ってしまったし、なんとかしてくれと頼んでも、「自衛隊を撤退させるならね」と答えられそうです。

 

 そもそも、人質返還交渉の過程で、取引材料を提示するだけでなく、別の形で相手に圧力もかけていくのが、こういう場合の普通の交渉法です。圧力をかける方法も考えられず(アメリカには自衛隊撤退案ぐらい言ったか)、ということは、彼らは友人だと日本が言うアラブ諸国に、これまでたいした恩恵を与えてこなかったので、逆向きのマイナス材料を提示できないのだ、ということを意味するのかもしれません。よくあるのは、政治犯などとの人質交換ですが、日本側でそのようなイラク人を拘束していないということでしょう。アラブ諸国との関係が希薄なんですね。

 

 今日中くらいには、大物政治家や自衛隊がなんらかの動きを見せてほしかったんですけど。そうでないと、結果的に、人質を見殺しもやむなしという方針で動いていたとみなされかねません。基本的には、イラクにも指導者がいて、彼らも正義の方針のもとで動いていますので、イラク側で理性と暴走のどちらが流れを決めるか、という展開に依存しているのが現在ということでしょうか。

 

 なお、譲歩のしすぎは非常にまずい、ということも述べておかなければなりません。日本がすぐ譲歩するとなると、世界のあちこちで日本人がねらわれやすくなります。日本人を誘拐すれば、政府がいくらでも譲歩するというのでは、日本人にとって非常に危険な状況です。そういうことも考えに入れて、対応策を練っていかなければなりません。しかし、人道援助で自衛隊を派遣しているわけですから、民間人の人命尊重は至上命題であるべきでしょうね。

 

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(4月15日夜)

 

 人質になっていたみなさんが解放されたそうで、ほんとうによかったですね。

 

 ここでは「テロリスト」という言葉はいっさい使いませんでしたが、小泉首相はその言葉を使い続けていた点で非難されたようです。国際関係は難しいですから、常に慎重な配慮を願いたいものです。

 

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(4月18日)

 

 後で行方不明になっていた2人の方も、解放されたそうで、これで全員が無事だとわかりました。よかったですね。イスラム聖職者協会が、いずれの事件でも仲介を行いました。それ以前にも、中国7人、ロシア・ウクライナ8人、フランス1人の人質救出でも決定的な役割を果たしたそうで、イラクで人質救出役の中核機関となっています。しかし、どうやって誘拐の実行部隊を突き止め、コンタクトを取ったのでしょうね。

 

 ともかくも、この事件でもわかるように、戦争状況下では、「仲裁役」が最も重要な役割を果たします。日本政府も、米政府に「ファルージャ停戦延長」に働きかけたといわれます。新たに48時間延長されたのが、奏功したと推測されています。このホームページで最初から指摘し続けていたように、ゲーム理論的な戦略分析では、日本は常に「仲裁役」を務めるべきだ、という中心的論旨が実証されたと考えられます。

 

 それとともに、このような状況下では、「情報」が非常に重要であって、「情報ゲーム」という様相を呈しているということです。情報を握っているイスラム聖職者協会が非常に強いです。日本では政府が情報を握っていて、人質の家族の皆さんは情報をほとんど知らされませんでしたので、家族の皆さんは非常に弱い立場に立たされました。小泉首相は15日夜になっても、「未確認情報を発表してはいけない」と指示し、情報を隠し続けるという方針をとりました(朝日新聞4月17日朝刊)。

 

 一方、小泉首相は「テロリスト」発言をし続けたことによって、その情報が人質解放を遅らせる原因になったと報道されました。情報というものがいかに大事であるかが、そういう点からもわかると思います。日本は情報管理能力が首相レベルから弱いといわざるをえないのでしょうか。

 

 朝日新聞(17日朝刊)は、16日の小泉首相の記者会見で、日本人解放をめぐり、「直接的にイスラム聖職者協会の名を挙げて評価しなかった」ことを報じています。一方、聖職者協会側は、「われわれの努力を日本人の多くが評価してくれている。しかし、日本政府はそうではないようだ」と言うのを忘れませんでした。新聞というのは、事実の報道に重きを置き、あまり推測には踏み込んで書きません。この種の新聞流の表現には慣れておくべきでしょう。つまり「言外の意味」として報道して、「行間を読む」ことを求めようという表現ですね。

 

 つまりこの小さな報道から、政府の行っていたことが、あいまいな推測として読み取ることも可能になるわけです。少なくとも、「聖職者協会は感謝されるような立場にはなかった」ということですね。それはどういう意味なのかはわかりません。身代金要求の仲介者だったのか、自衛隊撤退を要求し続けたのか、米政府との交渉を要求し続けたのか、それはいろいろでしょう。

 

 イスラム聖職者協会がしたたかであって、交渉の方法を心得ていると推測することも可能です。ここでは単なる推測の例として書くしかありませんが、たとえば「人質解放をいったん発表して、それを遅らせる」というのは、ゲーム理論的にはよく使われる作戦です。「相手に期待を抱かせ、それを覆すことによって、さらに要求のレベルを高くする」という高度な戦略です。この瀬戸際に立たされて、相手側(今回は日本政府)はほとんど言いなりにならざるをえなくなる可能性が高いです。

 

 別の戦略例を指摘しましょう。「2回目の人質の情報をまったく出さなかった」ことに関する戦略分析です。結果的にイスラム聖職者協会が解放の中心的役割を果たしました。この場合、もし聖職者協会が最初から人質に関する情報を握っていることを日本政府に伝えたなら、彼らにとって交渉は有利に運べません。日本政府は、「前回の人質事件で提示した条件は1回かぎりのものであって、今後は同等の条件を出すことはありえない」と通告していたはずだからです。なぜなら、いつも同じ条件を出すのでは、人質事件が頻発しかねないからです。

 

 そこで、「一切の情報を出さない」という戦略が成立しえます。どうやるのかというと、「日本政府が自発的に条件を出して、協力を要請するまで待つ」という「鳴くまで待とう」作戦です。日本政府としては、2回目の人質の身の上に異変があっては、政権崩壊にもつながりかねませんから、イラク側としては、「待っていれば、なんらかの協力要請があるはず」と読めるわけです。これがイラク側にとって最も有利な交渉戦略でしょう。

 

 実際に何が起こっていたかは、ぼくたち庶民にはまったくわかりません。言えることは、イラクでは宗教が「絶対的な信頼」の対象であって、それを彼らは日本人たちに発信することに成功したという点です。アメリカは世界を「民主主義」で治めようとしますが、「宗教」で治めるという国家も世界には存在していて、それでも人道的にも政治的にもうまくいくのだ、と日本人に知らしめた点は非常に大きかったと思います。いわば「アメリカ的民主主義の相対化」に少しは成功したわけですから。彼らのイスラム宗教は、迷信の集大成などではけっしてなく、十分に合理的で知的で科学的な交渉を行える体系になっていることを示したのです。

 

 その民主主義、自由主義さえ、日本政府はまだよくわかっていなかったのではないかと心配します。民主主義の伝統のある国からは、人質になった皆さんを称える言葉が送られました。フランス(人権宣言の国です)のル・モンド紙は、日本で政府に批判されて「無謀で無責任」と報道された人質の被害者たちを、「外国まで人助けに行こうという世代が日本に育っていることを世界に示した」と報道しました。アメリカ(独立宣言の国です)のパウエル国務長官は、「よりよい目的のため、みずから危険を冒した日本人たちがいたことを、私はうれしく思う」と発言しました。これが真の民主主義の国というものでしょう。マスコミはそういうことを報道してくれますので、まだマスコミには民主主義の真意を理解している人たちがいると思います。

 

 結局のところ、「平和」型の戦略が最も強いことを、今回の事件は実証したといえるでしょう。イラクが人質の皆さんを殺して、日本政府を窮地に陥れたところで、イラクやイスラム教に対する評価は上がりません。彼らにとって、自らの利益になる選択とは、敵に損害を与えることとはかぎらないのです。しかも、イスラム聖職者協会にとっては、「仲裁者」になることが最高の戦略であったわけです。互いに相手に損害を与えて、自らの利益を少しは得ようという戦略は、ゲーム理論の説く「囚人のジレンマ」状態になってしまいがちです。ブッシュ大統領がその状態ではないかと心配しますが、聖職者たちはそれを避ける道を選んだわけですね。

 

 なお、現代社会のゲーム理論では、「情報」が主役を演じます。いまだに「依らしむべし、知らしむべからず」の方針でいるような印象を与えかねない政府と首相は、どうも感覚が古いのではないかと思う方も多いかもしれません。国際社会で日本的な論理が通じず、ひどく交渉下手になってしまうおそれがありますので、現代的な政治手法やゲーム理論的手法というものを、さらに研究していただきたいというのは、ゲーム理論研究者だけの感想でしょうか。

 

 

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