天野真家教授の日本語ワープロ訴訟

――真の「ワープロの父」による提訴を考える――

 

 

国際情報学研究所・理事長

逢沢

 

 

 天野真家(あまの・しんや)湘南工科大学教授が、東芝を相手に日本語ワードプロセッサの実用化に関する重要発明を巡って、2007127日に東京地裁に提訴しました。日本語ワープロの職務発明訴訟が始まりました。天野氏が発明した特許の対価として要求された補償金は、訴状によれば2億6136万5500円です。

 ここでは、この事件の背景について、私が知っていることを書いていきたいと思います。ブログ形式といいますか、日付入りの日記形式とします。順を追ってお読みいただいたほうがよいので、新しい日付の記述は下に来る形式です。

 また、天野さんは私の1年先輩ですから、天野先生あるいは天野教授と書きたいのですが、そういう堅苦しいことは嫌いな方で、「天野さん」と呼ばされています。だから以下では「天野さん」で記述します。

 なお、関係者の実名がときどき出てくることがありますが、私は第三者ですので、記載に間違いがあるかもしれません。ご連絡くださいましたら、速やかに訂正させていただきますので、お気兼ねなくお知らせくださいませ。

 また、ご参考のために、天野さんがご自分で書いておられるウェブページやブログのいくつかを下記に挙げておきます:

http://www.shonan-it.ac.jp/each_science/info/amanoken/jframe.html

 湘南工科大学で開設しておられるウェブページ「プロジェクトX物語」です。

http://www.ne.jp/asahi/kanmu/heishi/index.html

 昔から個人で開設しておられるウェブページ「日本語ワープロの歴史」です。通勤途上の電車内で書かれていたのか、「車上の技術史」と銘打っておられます。

http://blog.goo.ne.jp/shonan-info/

 http://blogs.yahoo.co.jp/jw10ofamano/

 http://jw-10.blogspot.com/

 http://d.hatena.ne.jp/jw10ofamano/

 今回の日本語ワープロ訴訟とともに開設されたブログです。活発に情報を発信しておられます。

 

 

 

***** 和解成立(速報) *****

 

2012年5月2日

 先日、4月25日に和解が成立しました。本日は天野さんの記者会見があります。

 会見が今日まで遅れたのは、東芝側で社長への社内報告より先にマスコミ報道があっては、先方の担当者が困るという点に対する配慮でした。

 天野さんとしては「200%満足の和解です」との感想です。東芝側が非常な理解を示してくださって、知財高裁の和解案を全面的に受諾してくださったことに感謝しておられます。

 「裁判所の勧告案を公開しない」という1文を入れましたので、その内容が漏れることはありませんが、東芝からのお申し出は、「判決で確定したものではない」と断りさえすれば、「今後、何を主張してもよい」という寛容なものでした。

 今回の控訴は、日本語ワープロの基本特許2件のうち、1件は天野さんの単独発明だと認められたのに、他の1件には他の研究者もかかわったという地裁判決を事実誤認としたものでした。この地裁判決を覆せるかという1点のみを問題にした知財高裁への控訴でした。

 「200%満足」を推測してみますと、高裁からは「判決を出す場合には、こんな内容になる」との判断が提示されたようです。和解案というのは、単に和解金額がいくらといった単純なものではなく、審理を行ってこられた裁判官が作成されるのですから、裁判所側の専門的な判断が詳しく入るということです。「200%満足」とは、一つには「全面勝訴」だという意味だとぼくは判断しています。

 しかも、「100%」でなく、「200%」だというのは、おそらく和解金額のことでしょう。天野さんはすでに寄付先を決めておられます。天野さん側はライセンス先とライセンス料に関する証拠資料を提示できず、しかも金額を問題にしておられなかったので、「真実と名誉のための裁判」のみとして闘ってこられました。ただ、地裁判決は、天野さんの技術的貢献に対して、提示できた証拠のみに基づくあまりにも少額の判決でした。

 今回はそうではなかったと推測します。天野さんは被告側の金銭的負担にも十分に配慮されて、特許の有効期間の最後2年ほど、専用ワープロ機がすっかり下火になった頃の補償しか求められませんでした。それでも3億数千万円(当初2億数千万円に後に追加)の要求でした。本来の貢献は100億円級でした。

 では、いったい和解金額はいくらだったのでしょうか? それはわかりませんが、勝手に推測するなら、たとえば要求額の半分ほど? あるいは3分の1や4分の1? いやいや、金額の問題ではないでしょう。世間的な相場の範囲には入ったと思いますし、お金に頓着される方ではありませんので。

 今朝、メールでお知らせいただいて、ぼくのご返事は「ヒーロー誕生の瞬間を見た思いです!」。真にワープロ技術に貢献した本物の「ワープロの父」が世の中に認知されます。だって、天野さんの貢献は、単に特許を考えただけではなくて、初代の日本語ワープロの主要機能を、ゼロからたった1人で黙々と自作されたのですから。ある日、周りが色めき立ち、何人もが自己の貢献を能うかぎり過大に主張し始めるようになるまでは、ほんとに一人ぼっち同然のプロジェクトXだったのです。彼はこの仕事をやり遂げるために、結婚する機会を失い、自己の心に忠実に独身を貫いてきました。外見の穏やかさに比べて、壮絶きわまる人生だったのです。

 せっかくの業績を世の中で認知されていないという技術者は、この日本にもたくさんいるはずです。ただ単にやっておけと命じただけの上司が名誉を独占するという事例が数限りなくあるでしょう。天野さんの勇気が、そんな隠れたヒーローたちに少しでも希望を指し示せたことを、心から嬉しく思います。

 なお、森健一氏の東京理科大学における「教員プロフィール」は、2011年4月18日時点では、受賞の「文化功労者(文部科学省)」の項に「日本語ワードプロセッサの研究開発」と入っていました。このページは現在はないようです。本人がそう強弁していたのでしょうか。文化功労者はほんとうに立派な方々がご苦労の末に顕彰されている賞であり、国民の血税で年350万円もの終身年金が支給されます。ペテン師同然の行為で、権威をおとしめてほしくないものです。心から怒りを覚えます。

 それで、ぼくがこのブログと称するページで書くべきことはあらかた終わったのですが、昔、文学作品の情報構造を分析する研究をしたことがあったので、それを応用したら、某所で短編小説が最終候補作に残ったりしました。だったら、『日本語ワープロ開発物語』をいつか執筆したりする機会があればなと思います。主人公はもちろん天野真家さん。小説という形態しかとれませんし、このメディアの特性上、脚色も必要ですが、ぼくが真実だと思うことをありったけ書いてみたいと楽しみにしています。

 もともと第三者ですから、何でも言えて誰にも拘束されない立場ですが、何でも主張できる自由を保証してくださった東芝さんには感謝しますし、ご迷惑がかからないようにはします。チャチな娯楽作品にすぎませんし、たいして売れる筆力もないでしょう。何年後かわかりませんが、自分ができる一石だけは投じてみたいという気持ちがだんだん起こっています。そして、もしも長く残る作品になりえたとしたら、それは東芝という進取の日本企業を称賛する物語にもなれるのでしょう。自分でほんとうに書きたいのは、どこにもないほどの稀有な人間ドラマです。裁判が終わったので、もう敵も味方もなくなってしまいました。何が日本とその未来のためによいかを考えています。

 

***** 第一審判決 *****

 

2011年4月11日

 第一審の判決が東京地裁で4月8日に出ました。日本語ワープロの基本特許2件に関するもので、ワープロ技術史を書き換える判決となりました。「画期的判決」といいたいと思います。裁判長さんが踏み込んでくださいました。

 従来、森健一氏が日本語ワープロの発明者とされてきましたが、判決ではこれら基本特許の2件とも、森氏の「発明への貢献を認めなかった」(時事通信など)というのが画期的判決の最重要部です。時事通信では、「仮名漢字変換方式の日本語ワープロを初めて開発したとして文化功労者に選ばれた元常務(72)」としています。判決の意味するところがきわめて重大ですので、各社とも森氏の名前を隠すか、あるいは文化功労者問題にも触れなかった新聞社もあります。

 ただし、発明の対価として認められたのはたった643万円にすぎませんでした。マスコミの見出しは一様に金額面を出しています。「文化功労者の功績を否定」ということこそが重要だったのですが、職務発明に関する通常の報道スタイルのままにしたようです。

 基本特許2件のうち、2件目のほうは、天野さんの単独発明だと認定されました。1件目に関しても、天野さんの貢献度が7割です。すなわち、天野真家さんが日本の「真のワープロの父」だと認められました。

 ぼくは天野さんの提出したさまざまな証拠をもっていますが、1件目の特許に関しては、裁判所が証拠を見落とした可能性があります。判決は同僚2人が発明にかかわったとしたのですが、そのうち1人は、発明時にまだワープロの部署に配属されていなかったのです。東芝は配属されていたとする説明をして、天野さん側の証拠によって、後で訂正されたのではなかったかと思います。

 ただし、特許出願時に名前が入っていたのですから、その特許がカバーする範囲などをどう解釈し、裁判官がどう判断したかにもよると思われます。もしかして天野さんがご自身の過去を無意識に美化したかどうかなどは第三者にはわかりません。天野さんは控訴したいという方針だそうです。発明者に関する完全勝訴を目指してです。

 この訴訟は「真実と名誉のための裁判」でした。3億円以上の支払いを求めましたが、個人が行う訴訟には非常に大きな障害があります。基本特許のライセンス使用料収入に関する証拠書類を東芝がいっさい提出しなかったのです。その結果、金額面では残念な結果になりましたが、天野さんはいっこうに無頓着でした。終始、お金の問題ではないという方針をとられたからです。

 ワープロ専用機だけで、累計3兆円の市場が生まれました。天野さんは東芝を退社して以降、3年間の守秘義務に拘束され、しかも時効分がほとんどですから、特許有効期間の最後の2年分程度しか請求できませんでした。専用ワープロ機の出荷がわずかになっていた頃のみです。ワープロソフト関係のライセンス料に関しては、おそらく契約時に非公開扱いにしているでしょうし、状況証拠のみしか提出できませんでした。

 考えてみますと、それでもワープロ専用機だけで1000億円の桁の売上高があったのです。もしライセンス料率を5%としますと、算定根拠とすべき本来の金額は50億円単位です。極端に低い1%としても10億円単位です。2000億円だとすると、20億円〜100億円というところです。

 ところが、判決では、算出根拠として1億3600万円しか認めてくれませんでした。そのうち7%のみを技術者3人の利益として、そこから過去に支払った報償金などを差し引いたのです。金額的には不当判決かとも思われます。

 ただし、裁判長は誠実な方でしたので、確かな証拠からはまともな金額を出しにくかったからか、事前に「5000万円で和解」を勧めておられました。判決で出せる金額ではなくて、裁判長の心証としては、これが最低額となる補償金額だったのだと推測します。

 3兆円の累計額のうち、天野さんの請求した期間分をもし1割と計算したとすると、1割である3000億円分に対して5000万円ですから、ワープロ専用機全体だけでも、その金額の10倍「5億円」の貢献があった発明だったということになります。それが判決で出せなかった真の功績だと考えるべきでしょう。あるいは、もし時効が存在しなかったら、3兆円×ライセンス料率×7%ということで、天野さんの貢献分だけで20億円〜100億円の価値のある発明だったということになります。

 天野さんから記者会見の録音をいただきました。「お金の問題ではない。技術者の名誉だ」と満足しておられ、「自分の発明がなぜ他人のものになったんだという思いだったが、判決は技術者の励みになる」と、後進の技術者たちのことを最も重視しておられます。そうでないと、日本の技術立国は成り立たないからです。東芝には良心的な人もたくさんいるのだが、「経営陣に責任がある」とする発言もありました。

 森健一氏の文化功労者の選考に関しては、文部科学省に「公開質問状」を出すと踏み込まれました。「国家の八百長」だとまでののしっておられました。選考の根拠は日本語ワープロの発明にちがいありませんし、実際、東芝が帝国ホテルで開催した大祝賀パーティでは、「ワープロ関係者一同」として招待状を送ったのです。

 また、東芝の姿勢に関しては、「福島第一原発」、「フロッピーディスク装置の1100億円賠償訴訟事件」、「名古屋大学プラズマ研究所の発電機爆発事件」に具体的に踏み込んで、連帯と情報が存在すると推測される発言がありました。「技術者からメールが来ている」と述べられました。後の2件は新規ですが、ウェブで確認したかぎりでは、ぼくはすぐには情報を見つけ出すことができませんでした。

 そのようなわけで、日本語ワープロの歴史が書き換えられました。天野真家さんはやがて「日本語ワープロの父」として技術年表などに掲載されるようになるでしょう。

 ただ、付言しますと、ちょっとあきれるのは、最初の判決予定日だった3月18日に、森健一氏があるウェブ系メディアで、自分が日本語ワープロの発明者だと誤認させるような記事をまだ掲載していたことです。これに対して、天野さんは非常な不快感を表明しておられたことをお伝えしておきます。

 

**** 朝日新聞の記事 ****

 

 この記事には驚いたので、ぼくの言及をここへ上げておきます。天野さんの意見もついています。

 

2012年3月23日

 あまりにも間が空いてしまいましたが、控訴審に影響を与えるといけないので、控えていました。

 控訴審は、被告側から和解提案があって、現在は交渉中です。この裁判は非常に地味な終わり方をすることになるかもしれません。条件その他は、和解が整った場合に、お知らせできることはお知らせすることになるでしょう。ぼくから見ても、面白い条件がついているようです。

 さて、今日こんなにも久しぶりに書いたのは、“珍事件”があったからです。朝日新聞の3月17日(土)付の夕刊の「昭和史再訪」に、「ワープロ誕生」という記事が載りました。主に森健一さんからの取材で構成された記事で、森さんの写真入りです。まさに“珍事件”です。地裁の判決がすでに出ているにもかかわらず、まだ森さんを扱いますか。この記事が配達された範囲は不明で、よく調べていませんが、関東版だけかもしれず、関西では見ていないとも。あるいは関西版にもある? ぼくは朝日新聞を取っていないので知りません。インターネットには出ていないようで、グーグルで検索してもひっかかりません。

 その記事のナンセンスさがひどいので、天野さんは朝日新聞社の社長さん宛てに抗議文を送りました。内容証明郵便です。文面は簡潔な抗議のみです。

 ぼくもこの記事をもらったので、読んでいますと、森さんの貢献に関して、彼の表現はいつもながら、わざと誤解を誘うようなものだと感じました。

 同記事を引用しますと、「研究を始めたのは71年だった」はよいでしょう。ただし、まだワープロという形態にはなっていず、日本語入力装置といった考え方だったでしょう。たとえば、キーボードから2文字を入力すると、漢字1文字に対応がつくといった装置です。

 「郵便番号の導入(68年)に道を開いた自動識別・仕分け機を開発した経験から」というのを、多くの人は「彼がその研究を主導した」と読み違えてきました。しかし、そうではありません。この研究では、森さんは若くて下っ端でした。ごく一部の派生部を研究しただけです。しかし、プロジェクトリーダーが亡くなってから、彼はまるで自分が主導したように思わせようとしてきたかのようですが、リーダーは別の方でしたし、技術は飯島泰蔵先生のものです。この先生の文字認識技術は最高かつ標準のものとして現在まで生き残り、日本のパターン認識界の最高峰に立っている方です。紳士なので、森さんの表現には目をつぶっておられますが。

 「森さんは@手書きより早く入力できるA持ち運びできるB入力内容を電話で遠隔伝送できる、の三つを目標に定めた」というのは、彼が定めた目標でしょう。ただ、これは少し知識のある人なら、誰でも提案できそうな内容にすぎません。遠隔伝送はデジタル方式なら当たり前ですし、最初のワープロは机サイズ。手書きより早いは、欧文タイプライタや欧文ワープロではあまりにも当たり前の目標です。

 その後、彼は「『かな漢字変換』に注目した」のもほんとうでしょうが、かな漢字変換はすでに大学などで基礎研究がかなり進んでいました。森さんが最初ではありません。しかも、その第一人者がおられた九州大学へ河田勉さんを派遣するのではなく、京大に派遣しました。

 「森さん自身も日本語の基礎調査と辞書作りに取り組んだ」はほんとうですが、「ほんの少しだけ手伝った」という意味にすぎません。まるでご本人が主導したかと読まれがちですが、それを期待しての表現かと疑いたくなります。ほぼすべて他の人たちがやっていた仕事です。「ほんの少しだけ手伝った」が、森さんが日本語ワープロの開発・研究に実地に貢献したことのすべてだと解釈すべきでしょう。

 また、「前に変換した語を記憶する学習機能も採り入れた」とは、天野さんの発明と仕事を全面的に採用したというだけの意味です。森さんが自分で開発して、それを日本語ワープロに組み込んだりしたのではありません。ここは、東京地裁の判決ですでに確定した部分ですから、確実です。記事を読み違えないようにしてください。

 そのようなわけで、この記事は、森さんのミスリーディングな表現をそのまま採用して書かれています。それでいいじゃないかといわれてしまいそうですが、恐るべきことに、新聞記事を書く際の基本中の基本である裏付けをきちんと取ることもせず、広く周辺調査をすることもなく、そのまま掲載してしまったのです。周辺といっても、富士通の親指シフト方式ぐらいで、作家・清水義範さんの短編小説『ワープロ爺さん』、漢字に関する本をたくさん書いている阿辻哲次京大教授に取材した程度です。さらに日本近代文学館への取材を流用して付け加えただけかな。それでは大新聞社として失態級のまずさですよ。

 過去に朝日新聞の記事を見ていた印象では、この新聞社は記者に勝手に書かせて、ある種、記者の趣味的な記事がまぎれ込む確率が高いように思っています。かならずしも上質の規準をもっていない記者もいるかと思うので、野放し同然だと、こんな不様ともいえる記事が載ってしまったのでしょうね。

 そんなわけで、ぼくもあきれ果ててしまった記事でした。新聞が公器であることをきちんと認識しないと、世の中にとっても非常に不幸なことです。まやかしかというような権威に追従するだけで、真剣に真実を探って報道しないなら、日々、必死の努力を続けている技術者たちが報われませんし、後に続く人たちも少なくなって、日本の技術力がますます落ちていくばかりでしょう。二度と繰り返さないでほしいです。暗澹たる思いでした。

 

 

2012年3月26日

 前回、朝日新聞の日付を間違えていましたので、前回の書き込みを修正しておきました。すみません。

 それから、天野さんから指摘が来ました。下記に引用します。

 

「森さんは@手書きより早く入力できるA持ち運びできるB入力内容を電
話で遠隔伝送できる、の三つを目標に定めた」というのは、彼が定めた目
標でしょう。
  が、後付けの話ですよ。彼の話はいつもできてしまってからいかに
も自分が考えたように後付けで作り話を創作するのです。JW-10以前にこ
んな話はどこにもありません。Aは河田氏が80年代に部下にやらせてい
た事なので、彼が怒るでしょうね。

「森さん自身も日本語の基礎調査」はほんとうですが
 → これも嘘ですよ。基礎調査などしていません。僕らは何にも聞いていませ
ん。後付けでの創作です。証拠はなし。

「と辞書作りに取り組んだ」
 → 辞書は、僕と河田氏が岩波国語辞典などを元に作ったもので、学会発表が
出ています。森氏は連名ではありません。

「ほんの少しだけ手伝った」という意味にすぎません。
  出来上がった辞書の一部を見ただけです。

 ぼくは森さんの書いたものも読んでいたので、天野さんの言っていることと総合すると、前回書いた程度には貢献しておられたのかなと思い込んでいました。そんなレベルでは到底なかったというご指摘です。

 当事者でない者にとっては、歴史の真実というのは非常に難しくて、真相を突き止めがたいものです。森さんの表現はレトリックを巧妙に使っているという印象でしたが、さすがに少しの真実を含んでいるかというと、事実かと思われる内容さえ真っ向から否定する意見があるということです。

 何が真相かを、もちろんぼくは判定できません。単に第三者にすぎないからです。ぼくは天野さんの話を聞くことが多かったため、ぼくの考え方さえ、森さんよりも天野さん寄りに偏っている恐れがあります。そういうわけで、正確に真実に迫っているのではないことをご理解いただくようにお願いします。

 それにつけても、朝日の記事は安易でしたね。まあ、どこの新聞の記事でも、当事者からすると、ここは間違ってるなということが非常に多いのですが。ぼくも経験的にそれを知っています。

 

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2007年12月10日

 日本語ワープロの職務発明訴訟について書きたくなったのは、自宅で「“天野真家”」で検索したら、グーグルのスニペット(各サイトの要約)に、彼以外に最初に出てきた名前が私だったからです。ところが今朝、京大で検索したら、金出武雄カーネギー・メロン大学教授でした。グーグルのどのサーバが応答するかによるようですね。金出さんも私も、二人とも天野さんとは密接な間柄にあります。

 今回の事件、最初に報道されたのは、東京新聞の記者さんたちによる12月7日付の朝刊でした。提訴はその日の午後でしたので、それ以前の報道で、特ダネでした。その記事、署名入りで、「横浜支局・中沢穣、佐藤大、京都支局・谷村卓哉」となっています。天野さんのお住まいとお勤め先は神奈川県、提訴は東京地裁、なぜか京都支局が関係しているのが不思議ですね。

 実は、東京新聞と中日新聞は一緒にやっています。谷村さんは先日、中日新聞の京都支局員として、私のインタビュー記事を掲載してくださった方です。そのとき、たまたま天野さんのお話に触れたら、今回の報道につながっていったというのが背景です。この特ダネ、京都にいる谷村さんのお手柄なんですね。

 天野さんの出身地は名古屋ですので、谷村さんは思い入れが強くて、奔走してくださったようです。中日新聞では天野さんのことをわざわざ「名古屋出身」と報道してくださいました。

 そんなわけで、私はおそらくこの「ワープロの父」訴訟の裏事情について、報道されているより詳しく知っているところがあるでしょう。そんなことについて、時間のあるときに書いていきたいと思います。

 たとえば、世の中で「ワープロの父」とされている森健一氏。昨年ついに文化功労者になりました。それ以前にも本田賞などを受賞しています。では、彼はほんとうにワープロを作ったのか? そんな問題も考えてみなければならないと思います。

 また、天野さんが東芝で受けた処遇についても考えなければなりません。その点については、天野さん自身は黙して語りません。大きな不満があったことは、彼の言葉の端々から感じられます。だんだんと調べていかなければなりません。

 今回の訴訟、請求した補償金の額はいわば方便だと考えています。マスコミ報道というのは、そういうものだからです。わかりやすく伝えなければなりません。「在職中はたった23万円支払い」と「2億6千万円請求」といった対比などを使わないと、ニュースバリューを世の中に伝えにくいんですね。記者さんたちも金銭問題に注目しているのではなく、この問題の深い真相を追求しているはずですが、最初の切り口はこのようなものにならざるをえないのだろうと思います。

 天野さん自身は、お金に無欲な方です。「真実と名誉」のための訴訟だとおっしゃっています。実際、いつもお金を放棄する方でした。それどころか、名誉され放棄し続けてきました。

 つい先日、『自然言語処理』(オーム社)という本を出されたのですが、いただいてあきれました。この本、ほんとうは天野さんのご編著なんですね。しかし、ご自身の編著とせず、分担執筆者名を五十音順に並べただけ。若い執筆者たちの文章が下手で、悪戦苦闘して修正しておられ、たいへんな手間がかかったのに、そんなことは表に出されません。

 本を書く際、編著というのは、その分野を代表する人であることを示す権威付けになりますので、年配の多くの学者が引き受けたがります。しかし、天野さんは「どういう違いがあります? 編者の印税も返上して、ページ数配分で、みんなに配ってしまいましたよ」というご返事です。

 また、私が設立に関与した大学発ベンチャーにもかかわってくださっているのですが、「成功したら、恵まれない子供たちの教育資金の援助に使います。財団を設立したいです」と宣言。私利私欲がまったくない方です。

 そんなわけで、注目すべきは補償金の額ではなく、「最初の日本語ワープロを開発する際に、真の貢献者は誰であり、どの程度貢献したか」という問題点に私は目を向けています。しかも、「名誉にさえ無欲だった天野さんが、なぜ提訴にまで踏み切ることになったのか?」という点も重要だと思います。その真相に一歩でも近づければと考えて、この文章を書いていくつもりです。

 

 

2007年12月14日

 この提訴の背景についてよくおわかりいただくために、まず述べておきたい問題点として、森健一さんが天野さんたちに差し上げなかった「著書」の問題があります。天野さんが存在を知らなかった著書ですが、森さんが現在所属する東京理科大学のサイトにある略歴には掲載されています。その『ワープロが日本語を覚えた日』(森健一著 インタビュー:柳田博明 三田出版会 1990年)という著書が存在することを私がたまたま見つけたので、京大内で探して読みました。85ページしかない薄い本でした。インタビュアーの柳田さんは当時、東大教授でした。

http://www.tus.ac.jp/news/news.php?20070319122837

 その本を読んでみて、どうも記述に問題があるのではないかと思いました。最初の日本語ワープロの開発者たちのうち、河田勉さんについては、「新人が入ってきたばかりのときに言語学の勉強に大学に行ってもらったんです」といった表記がされているのですが、「新人」という表現しかないのですね。非常に軽く扱われています。「新人」という表現がもう1回、「その人」という表現が2回、「研究者」という表現が1回でしょうか。最後まで読んでも、天野さんへの言及はついに見つけられませんでした。「研究チーム」や「研究・開発するチーム」という表現で言及したということでしょうか。

 森さんのかかわり方を少し引用してみましょう。著者と出典を明記して、論評を加えるという公正な使用(fair use)で引用しますので、著作権上の問題は生じないはずと思います。

 

[森健一、『ワープロが日本語を覚えた日』、三田出版会、1990年、p.15から引用]

 公式の研究というのは、あいかわらず文字認識の研究、音声認識の研究、図形の研究です。その当時通産省の大型プロジェクトでパターン情報処理の研究・開発というものがありまして、その中心になってやっていましたから、そっちはそっちで忙しいわけですけれども、かたわら文法だとか辞書だとか漢字パターンだとかをやっていたわけです。

―――かたわらでもできたということは、それは非常に面白い研究対象だったわけですね。

 

 この箇所については、私は研究者として断言できます。「文字認識」「音声認識」「図形」「パターン情報処理」のいずれもがかたわらでできる研究ではありませんし、当然ながら「文法・辞書・漢字パターン」というテーマも、たとえ天才であってもかたわらでできるものではありません。しかも当時のコンピュータ環境は、現在のように高性能のものではありませんでした。非常に不自由なコンピュータ環境において、かたわらで自分自身の成果を出せるほどの仕事ができたということはありえません。つまり、そのような仕事を全力でやっていた誰かが別にいるわけですね。

 また、読んでいて決定的におかしいと思ったのは、19−20ページにある記述でした。日本語ワープロの開発で自身がどんな仕事をしていたかを問われたときです。

 

[森健一、『ワープロが日本語を覚えた日』、三田出版会、1990年、p.1920から引用]

―――するとサイドワークのときにやられたのですね。

 家に帰ってから夜やるわけです。しかし、それは以前の文字読み取り装置の開発のときもそうでしたね。手書き文字を認識するための新しいアイディアを考え、シミュレーションを行ない、実際の手書きの文字パターンを対象にして分析するわけです。シミュレーション結果から認識の論理の良否を検討するわけです。そのときに三十万字ぐらいの文字データがありました。

 毎日計算機のシミュレーション結果を五百枚くらい持ち帰って、次の日までチェックする。これはかなりしつこい努力を必要とするものでしたが、そういうことをやらないとタフな、実用になるものは出来ないんですね。だから、新しい原理を考えるということと、作業に徹するというか、そういう部分とは切り離せないわけです。チェック作業に徹する部分というのは、リーダーであっても人に任せてはいけない。作業を分担するということはいいのですけれども、人に全部を任せてはいけない。そこがいちばんマンパワー的な意味でロードのかかるところですから、そこを逃げてはリーダーの意味がないんです。

 

 ここで述べられている作業は、「文字読み取り装置の開発」のときのものです。つまりワープロ以前に行った文字認識プロジェクトでの作業ですね。しかも、あまりにも残念なことにも、この本ではワープロ開発時において、彼自身がここで断定的に述べている「いちばんマンパワー的な意味でロードのかかるところですから、そこを逃げてはリーダーの意味がない」というのに相当する作業をやったという記載はありませんでした。さらに言うならば、私はこの本以外のどこにおいても、森さんがそんな作業をやったという記載をいっさい見たことがないのです。

 これについてはどう判断すればよいのでしょうか。この本で森健一さん自身が述べたことは、論理的には「私は日本語ワープロ開発のリーダーとしての資格がありませんでした」と解釈するのが、最も妥当なように思うのですが、お読みになられた方などのご意見を伺いたく存じます。注意深く読まないと、「私はこれほど懸命に作業をやっていたのだ」と読ませたいように勘違いしてしまいかねない記述ですが。あるいは、森さんの死に物狂いの作業に関する記述をお知らせください。

 なお、天野さんは「嫌だから読まない」というご返事で、今に至るもこの本を読んでおられません。また、付け加えておきますと、彼がチェックした30万文字というのは、せいぜい本2〜3冊の分量ですから、研究者としては日常的に苦労が意識にも上らない程度の分量にすぎません。毎日500枚の紙に印字されているといっても、1枚に何文字分のデータでしょう? 9割方以上は正しい認識結果でしょうから、普通の研究者は誰でもやっている程度の分量に思えるのですが、いかがでしょうか。つまり、話のすり替えが行われた発言を読まされたようにも思えてしまうので、以前の仕事にまで疑念を抱いてしまうおそれがあるのです。

 

 

2007年12月17日

 忙しくてなかなか書く暇がないのですが、14日に掲載した重要な見解をいったん削除しています。いろいろな理由によるものです。今後も重要な論点は短期掲載の方針をとるかもしれません。

 

 

2007年12月20日

 14日の記載をいったん削除したのですが、読みたいから再掲載してほしいというご連絡もあるものですから、ふたたび掲載させていただきます。特に問題が生じない記述ですので、削除したほうがかえって気になる方もおられるかもしれませんね。

 さて、天野さんは、東芝との守秘義務契約が解ける3年間をきちんと待ってから、交渉に入られました。日本語ワープロに関する基本特許に対する毎年の補償金に対する時効がどんどん過ぎていくにもかかわらずです。きわめて紳士的に振る舞っておられます。

 ここで少し述べておきたいのは、天野さんにとっても、元のお勤め先と裁判沙汰になるのは不本意なことであると考えておられたことです。

 そもそも天野さんは、特許の対価というお金を問題にしておられるのではありません。「真実と名誉」という言葉を何度も聞きました。ワープロ開発における真の貢献者はどの方たちで、それぞれがどの程度の貢献したのかを正当に世の中に伝えていきたいと切望しておられます。

 そのような交渉に入ったところで、実は天野さんにとってはあまりに中途半端な形で、東芝側から打ち切られてしまったというのが真相です。たった2回の交渉の席が用意されただけでした。天野さんにとって不本意だったといわざるをえません。先方の代理人である弁護士さんはどうぞ提訴でも何でもしてくださいといった感じで、今回のような展開にならざるをえなくなったようなのです。

 これは東芝が常にとる方針だったのでしょうか。それはよくわかりません。東芝側の内部でも利害は非常に複雑でしょう。職務発明の対価請求は厳しくはねつけるべしという立場の人もいれば、対価を請求するほどの有能な技術者とは今後も友好的な関係を続けるのが、東芝ほどの大企業を率いていく者の使命であると考える人もいるでしょう。

 また、代理人としての弁護士さんの立場もいろいろであると推測します。今回の相手方はよく存じませんので、何とも申せませんが、一般に弁護士の立場としては、訴訟に進んだほうが弁護料など自らの利益になるので、裁判に持ち込みたがる人も少なからずいるものと思います。そういう代理人が交渉の席についた場合、交渉はスムーズに進みにくく、結局は決裂することがありえます。

 東芝とフラッシュメモリーに関する特許で職務発明訴訟を行った舛岡富士雄さん(東北大学教授)は、アラブ首長国連邦の投資会社から100億円以上の資金を提供されました。技術者の値打ちというのはそんなものです。ワープロもフラッシュメモリーも東芝の屋台骨の一角を支えるほどの技術に育ちました。年間数千億円といった売り上げを、たった一人や少数の技術者が生み出したのです。

 そういうことはさまざまな企業でよくあります。誰か一人あるいは少数の人たちの技術やアイデアや才覚が会社を伸ばし、会社を支え、大きな売り上げに貢献します。どこそこの会社が発展したのは、誰のおかげだったかということが、皆の頭に思い浮かぶ企業というのが少なからずあるのです。

 そういう点では、東芝は現在、正念場に立っているのかもしれません。情報系では、ワープロ、ノートパソコン、フラッシュメモリーという3つによって、同社は業績を支える事業のリレーに成功してきました。そのうち、発明に値する重要な2事業において、その最大の貢献者たちから「ノー」を突きつけられたのです。しかも今後のHD−DVD事業の成否は未知数です。東芝の経営陣がここでどのような判断を行うかを注視しておきたいと思います。

 天野さんがライフワークと考えている研究テーマは、「シンキングネットワーク」すなわち自ら考えるネットワークです。その構想は天野さんの頭の中にあります。彼は日本の代表的ないくつかの情報系学会にも多大の貢献をしてきたので、学会からの支援も大きいです。最高度の若手研究者たちを集める自信があるようです。実際、情報系プロパーでわが国最大の学会である情報処理学会は、日本語ワープロに対する貢献者たちを精査して、平成14年度に筆頭を天野さんとして表彰したことを付言しておきましょう。

 さて、シンキングネットワークの研究に必要な資金はいくらでしょう。彼は控えめに年1億円で10人の研究者を雇いたいと考えているようです。舛岡さんのような半導体会社ではありませんので、極端に大きな資金は必要ないようです。やがて協力者が現れるのではないかと想像しますが、いかがでしょうか。

 ソフトウェア系が弱いわが国ですが、彼は天才技術者と呼べるほどの人ですので、その評価についても、私なりの見解を述べておかなければならないと思います。自然言語処理という人工知能分野の技術の産業化は、非常に困難なテーマでした。彼が世界で初めてそれを成し遂げ、日本国内に数兆円規模の市場を突如出現させたのが1978年でした。

 世界において、それに匹敵する貢献はその後20年間もたらされませんでした。そして、1998年になって、ついに2度目の成功の火ぶたが切って落とされました。それがグーグルの誕生だったのです。彼らは自然言語処理技術によって、新しい検索エンジンを実用化しました。天野さんから20年遅れて登場した偉業だったのです。

 そのような意味で、わが国の情報処理技術分野が、世界においてどのような地位を占めるのかを再確認するという点でも、今回の提訴がはらんでいる問題は非常に重いのです。技術者がまた金目当てで訴訟を起こしたかという見方は、おそらくあまりにも浅いでしょう。日本の独創、私たちの希望、何か日本を輝かせているものをもう一度思い出してみたいという「地上の星」訴訟だろうとも思っているわけです。

 

 

2008年1月11日

 1月17日が初公判だそうです。マスコミが動いているようです。最初の日本語ワープロであるJW-10が東芝に保存されているそうなので、マスコミが本件で取材と撮影をさせてほしいと依頼したら、断られたそうです。机サイズですから、私は「取材させたら、あんな重い物を一人で作れるわけがない、と世の中が納得しただろうに」と残念がっています。

 一人で作れないのはほんとうでして、天野さんだけでなく、たくさんの人が1号機の開発に参加しました。けれども、それは製品開発段階になってからで、研究段階で主要な参加者は4名だったでしょう。森健一さん、河田勉さん、天野真家さん、武田公一さんです。ワープロの研究開発が本格化したとき、実際に携わっていたのは、天野さんと武田さんが主でした。それなのに、武田さんの名は、前記の情報処理学会の表彰にも出てきません。

 武田さんは高校卒でした。天野さんが最も頼りにしたパートナー。天野さんが訴訟に至るほど不幸だとしても、さらに武田さんは、稀にしか名前が出てこない不幸を背負っています。

 けれども、彼は日本語ワープロに関する最初の表彰である全国発明表彰に名を連ねています。この賞については、当時、東芝で推薦するからと、上司から天野さんに資料を用意するようにと指示がありました。そのとき天野さんは、武田さんを筆頭とする特許を上司のところへ持っていったのです。上司は非常に驚きました。

「天野君、これでいいのか? ワープロの大きな賞だぞ」

「はい、それでお願いします」

 彼はきっぱりと答えました。それは天野さんの武田さんへの感謝の表れでした。彼が参加してくれなかったら、天野さんは一人ぼっちで開発を続けなければなりませんでした。その孤独と頼れる相談相手もいなかったかもしれない状況です。武田さんがいたからこそ、ワープロの開発に成功することができたのだと、天野さんは全国発明表彰の功績を武田さんに譲ったのです。

 天野さんはそういう人で、これまでもウェブサイトに記載されるとき、自分の業績は主語をなしにするなど、非常に控えめでした。最近ようやくご自分の業績だと信じることは、そのように書くようになりました。自分の業績を自分で言うのは自慢たらしいと考える技術者は多いのですが、もっと以前からより自己主張をされていたほうがよかったのではないかと思います。

 

 

2008年3月28日

 年度末は忙しくて、この日記も極端に日が空いてしまいました。以前に何を書いたかも覚えていない状態ですが、グーグルについてはすでに触れていますね。

 日本語ワープロの誕生は、日本のIT分野として世界に誇るべき偉業なんだと思います。アジアの人たちからもよく感謝されます。日本語ワープロを見習って、各国語の入力システムが開発されていったのです。グーグルの創業に先立つこと20年前、自然言語処理ビジネスで巨大産業を築いたという、独創性に乏しいことの多い日本のIT分野における金字塔となったお仕事です。

 その話題をなぜもう一度書きたくなったかというと、手元の古い本を裁断しては、オートシートフィーダ付きのスキャナに放り込んで、電子化しているのです。人に手伝ってもらったりして、おそらくすでに7000冊ぐらいはスキャンして、元の本は捨ててしまいました。蔵書が多くて、足の踏み場もない状態だったのですが、やっと少し空いてきました。山を越したと思いたいのですが、家内の父親の本が私と同じくらいありますので、まだまだ先は長そうですが。

 それで、この間、文庫本を裁断していたら、日本DEC(かつてのミニコンピュータの雄の日本法人)からもらった長尾真さん編著の『人工知能 実用化の時代へ』(新潮文庫)という本がありました。1986年の本です。1986年の本です。1986年におけるAIの実用化か、ワープロの話だろうと思って、スキャンしているのを流し見した程度ですので、間違っているかもしれませんが、この本にはワープロなど出てきませんでした。最後の解説で、IT評論家の那野比古さんがそれをフォローして書いている程度かと思いました。

 なぜ? 冒頭が小説仕立てだったりするので、長尾さん自らが書いた本ではなさそうです。それにしても、すでにワープロへの評価は確立しつつあった時代、編者としてどうしてワープロに触れないのかと疑問に感じたところがありました。長尾さんは機械翻訳など自然言語処理分野にかかわっていた研究者ですし、その分野の実力第一人者たる天野さんは、京大で長尾さんとも非常に近かった人なのですから。天野さんは機械翻訳の実用化でも、その実力で科学技術庁長官賞を受賞しています。機械翻訳でわが国で最初に大きな賞をもらった人でしょう。

 漏れ聞くところでは、ワープロ系の人たちと、長尾さんとの間には、何がしかの溝があるのかないのか? ワープロ系は長尾さんを立てていますが、逆があるのかないのか? 長尾さんとしては終始、ワープロの人たちは自分が指導しているというつもりだったのか、何だかよくわからないところがあります。

 近いところというのはいつも確執がありがちのようですね。長尾さんが京大で工学研究科長になったときも、私は予想として今度は長尾さんと言いました。ところが、IT系の人たちでそれを信じる人がいなかったのです。結果として、私の票読みが的中しました。

 その次に、京大の総長選挙の直前にも、人文系の名誉教授の先生(故・米山俊直先生)から飲み屋で、今度は誰?と聞かれました。長尾さんと言おうとしたら、その先生の側から長尾さんかと聞いてきました。2人の意見は一致したのです。そこで、対抗馬は理学研究科長の誰それさんだろう、と学内の人間としてもう少し詳しい予想を言って差し上げました。幸いまったく予想通りの展開で、2人の決戦で長尾さんが勝利したのです。

 このときも、全学的には長尾さんという下馬評が高いはずなのに、足元の情報学ではそんなことはなかったですね。しかも、総長第2期の選挙のときにも、現総長が決戦投票に持ち込まれることになったり、なんだか確執のようなものが見えたのです。

 そんな確執というのは、一昨年にもあったのかもしれませんし、それ以外にも聞かないではありません。一昨年、森健一さんは68歳で東大系、長尾さんは70歳になる京大系。70歳という年齢に達するので、文化功労者にという運動が京大側でなきにしもあらずだったと思うのですが、意外にも68歳の森さんがワープロなどの業績で文化功労者になってしまったのです。意外でないという見方もあるものですから、私は何とも申しませんが。

 今回の裁判、のろのろと進んでいまして、次の法廷は4月でしょう。ずっと何もないままだったのです。前回は10分で終わりだよという段取りの話を先に天野さんから聞いていました。おかげでこの日記もすっかり意気阻喪して、超のんびりペースに落ちてしまいました。日本の裁判はあまりにもスローモーすぎますね。

 で、実は各種の専門分野における専門家の間には、微妙な確執というのが、本人も述べない人間関係の中に存在している可能性があります。たとえば、長尾さんを証人に呼んだとしたら、権威として中立の意見を述べてもらえるかというと、過去の経緯を見ていると、そうではないのではないかという立場の人もいるだろうと思われるわけです。私などは学者というのは、常に事実に即して、中立公正な判断をするのが当然だと思いますし、世間でもそう思われているでしょうが、なかなか微妙なところがあるのかもしれません。

 天野さんは技術者として技術力がありすぎます。それに対する妬みや競争心などを抱く人もいるでしょう。世の中はなかなか難しいものですね。

 

 

2008年4月8日

 難しいといえば、大企業相手の訴訟というのは困難なものです。今回も証人のほとんどは相手方企業とまだ関係をもつ所属先に属するなどです。証言してもらおうと思っても、会社との関係があるために、ほんとうのことを話してもらえないおそれがあったりするのです。

 http://homepage2.nifty.com/tsbrousai/benron9.html

 上記は「東芝・過労うつ病労災・解雇裁判」を扱うサイトでのある回の弁論準備です。同僚の供述書は、まるであらかじめ口裏合わせをしたような内容だとか。労働基準監督署でさえ、肝心の資料をわざと忘れたかのように付けていないなど。「天下りしたがっている労働局関係のお役所と大企業の癒着か?」などといぶかられています。

 今回、被告側からの第1準備書面は60ページ以上。きわめて読みにくい書き方がされています。原告への反論を延々と多数の項目にわたって書いたもので、それに反論するとなると、2ヵ月で本1冊分ほども書かなければならないでしょう。個人にはきわめて負担が重い仕事です。

 天野さん自身は、ご所属の大学でこのほど工学部長に推挙されたにもかかわらず、あまりの多忙ぶりで、メディアセンター長就任で勘弁願っています。全学的な改革に知恵はおおいに出すが、皆で一緒に改革を進めていきたいとのお立場です。それとともに、名誉職はなるべく人に譲ろうとする方です。

 それにしても、日本語の自然言語処理は、1970年代以前の先行研究が少ない分野ですね。私が当時の電子通信学会(現・電子情報通信学会)に入会した1972年の3月以後の論文誌を持っていますが、その年は九州工業大学の吉田将さんと九州大学の栗原俊彦さんの論文の2件程度です。

 当時、文字認識の巨人である飯島泰蔵さんなどが活躍していました。京大のパターン認識や人工知能分野は坂井利之さんがいましたが、アイデア的といいますか、先行研究としてデモンストレーションをマスコミに発表することは多かったですが、その後に残る手法を確立するには至らない傾向があったのではないかと思います。

 被告側の準備書面、「坂井俊之」と記載されています。このずさんさですぐに読む気も失せてしまいかねません。それは作戦? そうではないでしょうが、京大よりも先に「多くの先行研究があり」などと書かれると、京大側で反論したがっている人が出てくるのも事実でしょう。「坂井利之」(文化功労者です)と書けない人が、当時の先行研究をまともに調査しているのかおおいに疑問です。原告側はそのような書面に対して、正面から大量に事実を積み重ねて反論しないといけないので大変ですね。

 

 

2008年4月11日

 思いがけずも、河田勉さんからメールを頂戴しました! もうお一人の「真のワープロの父」です。一昨日夕刻にメールをいただき、昨日私が返信し、その日のうちにまたメールをいただきました。今朝また私がご返信したところです。

 河田さんは「ワープロの父は4人」というお立場です。森健一さん、河田勉さん、天野真家さん、武田公一さんです。どういう並べ方をしてよいか私もわかりません。東芝での日本語情報処理への参加順といったところだと、この順でしょう。

 世間では技術者の地位や、その仕事への評価が低いといわれがちですので、ここでは技術者の地位の向上という意味で、実際に技術を手がけた方々を「真のワープロの父」と呼ばせていただきます。河田さんがこれまで発信してこられた情報は比較的少なかったかもしれませんので、ここで天野さんと並行して書かせていただければと存じます。

 今回の裁判、実はかな漢字変換という中核部の原理に関しては、天野さんは対価を請求しておられないのだと存じます。請求は特許がまだ有効な一部の技術に対してだけですし、ご自分で発明したと自信をもっていえる技術2件だけです。かな漢字変換は九州大学の故・栗原俊彦先生が先行して研究しておられましたし、東芝ではその追試を行ったのが、やがて日本語ワープロに結実したと推測しますので、公表文献である栗原先生のご研究を東芝は特許にできなかったはずです。

 この栗原さんのご研究を東芝で追試されて、その後も日本語ワープロ第1号機に組み込まれたのが、同じく九州大学ご出身の河田さんです。すなわち、かな漢字変換という中核部の実現者であるのだと存じます。河田さんのご貢献も非常に大きいです。

 河田さんは、当初は日本語情報処理担当のたった一人の技術者でした。東芝から京大に1年間、研究生として派遣されたのですが、たいへんご苦労されました。当時は大学紛争時代で、「産学協同」は禁句中の禁句。企業から京大に来ている研究者は、それこそ身の危険を感じたのではないかと存じます。河田さんご自身、図書館に入ることもできなかったとおっしゃっています。

 京大では若い長尾真先生(前京大総長)の研究室でした。長尾先生はアンチかな漢字変換の研究者ですので、ここはちょっと微妙だと思います。長尾先生はかな漢字変換レベルの研究は大学でやるものではないとのお立場だったと聞きました。だからでしょう、河田さんはもっと進んだ「意味処理」の研究を京大でされたようです。「教科書の意味処理を行うシステム」を試作されました。

 こういうご研究、現在の情報処理システムを想定して考えるわけにはいかないんです。当時は漢字どころかひらがなもコンピュータでは扱えなかったのです。河田さんは漢字表示のディスプレイやプリンタはご自分で改造して実現することになりましたし(ハードに非常にお強い方です)、京大では「ローマ字で文章を入力」されたそうです。

 形態素解析(形態素とは単語に近い概念で、それよりやや小分け)→構文解析→意味解析を行ったそうです。その形態素解析部をその後、東芝でFORTRANに書き換え(栗原先生は大型コンピュータのバッチ処理だったので、その延長でしょうか)、さらにミニコン用にコーディング(森さんがミニコンを買ってくださったはずです)。これをすべて一人で行われたそうです。形態素レベルに分けるのは、かな漢字変換で必須ですので、その部分をご担当されたのでしょう。

 そして、単語辞書の第1版を作成されたのも、河田さんとそれを手伝った優秀な外注の女性プログラマだったそうです。こういう作業も非常に大変です。毎日新聞の記事データを提供してもらいましたが、なんと紙テープで提供されたデータでした。1インチほどの幅の紙テープに、バイトごとに穴が開いているテープですね。カチャカチャと読み取ります。博物館ででもご覧ください。

 と書いているうちに、昼休みが過ぎてしまいそうです。河田さんは東芝でその後も数多くの事業を手がけられました。河田さんがご担当されていた東芝EMIの売却で多額の利益が出たとのことを付け加えておきましょう。やはり有能な技術者は会社へのご貢献が非常に大きいのですね。

 

 

2008年4月22日

 河田勉さんにはメールでいくつかご質問をしたのですが、まだご返事をいただけていません。「一点だけ、訂正」という短いメールをいただいたのみです。お送りしたご質問以外にも、たとえば東芝EMIの件に関して、ウェブで調べたところでは、ネットワークサービスご担当の非常勤取締役の方であったのかと思われるのですが、「私が担当していた東芝EMIの売却ではもっと利益が出た」とわざわざお書きになっているのはどういう意味かなどお伺いしたかったのですが。

 

 ところで、京都大学新聞2008年4月16日号で「ヒトiPS細胞 民間企業が先行か 京大『本質#ュ見は山中教授の功績』」という記事が一面に掲載されました。山中伸弥教授の万能細胞のご研究についてです。山中さんはご出張中の記者会見でしたが、京大側から発表しています。

 この記事、京都大学新聞社側からわざわざ「お詫びして訂正いたします」という紙切れが1枚ついています。

 

今号1面の「ヒトiPS細胞の民間企業での先行が報じられたことに対する京大のコメント」を掲載した記事で、表中に「京大山中チーム 07年11月 特許申請」とありますが、山中教授らによるヒトiPS細胞の特許申請(時期等)に関して京大の公式発表はありません。よって表記は正確ではありませんでした。

 

 これはいったいどういう意味なんでしょうか。記事を読みますと、図の中に「06年8月 マウスiPS成功」「07年7月 ヒトiPS成功(時期は非公開)」「07年11月 特許申請 ヒトiPS論文公開」とあります。一方、バイエル薬品側のことでしょうか、「07年5月 ヒトiPS成功(?)」として「京大より先に特許申請?」という文字が大きく書かれています。

 事実は一つしかないものを隠そうとするとは、学問の府らしくありません。何か粉飾しようとしているのかと勘ぐられかねませんので、同じ京大人としてそんなことはしてほしくありません。隠したから、論文や特許で有利になる? まさかそんなことはないでしょう、卑怯なことでもやらないかぎりは。

 京大側は、「05年に最初に出願した『分化した細胞を未分化状態に戻す因子』に関する特許がiPS細胞の本質であるとの見解を示した」とのことです。私は専門外ですから詳細はよくわかりませんが、それは立派なことだと存じます。

 ところがそれに続けて、「そのため、特定の企業にiPS細胞の基本技術の特許を独占されることは考えられず、仮に関連技術で認可されたとしても高額な特許料を設定する可能性は低いだろう」と述べたとのことです。これには愕然としました。京大はなんと甘いことを考えているのでしょう。

 ここで前提としているのは、「バイエル薬品が自らの特許を使おうとしても、京大の特許が必要になるはずだ。京大と契約する際に付帯条項として、貴社の特許も他社に安く提供しろ」という条項を付けるという考えではないでしょうか。教えていただきたいものです。

 しかし、これは甘いと思います。かえってバイエル薬品の特許のロイヤルティを異常に引き上げさせることになりかねません。再生医療にとって不幸を招きかねません。無茶な契約書ではないでしょうか。

 京大は、バイエル薬品はきっとヒトiPS細胞の臨床応用に乗り出すはずだと想定しているのでしょう。ところがそうとはかぎりません。バイエル側は自社で臨床応用を事業化せず、他社が事業化する際に特許料を請求するという戦略を取る可能性があります。京大が通常でない契約書で事業化の障害になるとすれば、そうなる可能性がかなり高いでしょう。

 そのときバイエルは、自社で事業化した際に得られたかもしれない利益を、他社から得る特許料に上乗せするのが営利企業として取るべき戦略と考えるのではないでしょうか。そういうことを京大の知財部門は考えもしておられないのでしょうか。だとすると、京大の知財部門は早急にもっと強化しないといけないのかもしれません。

 

京大がバイエル薬品の特許料を安くしろと要求

     ↓

バイエル薬品はファブレス化(製造しないという意)し、他の製薬会社から得る特許料のみに頼るという戦略に転換

     ↓

バイエル薬品は特許料をかなり高く設定

     ↓

他社は自社の製造コストに高い特許料を上乗せされ、想定以上の価格を設定

     ↓

バイエル薬品が事業化するのに比べ、「二重の利益構造」で事業化せざるをえない

 

 バイエル薬品が自社で事業化するのに比べて、高い特許料を上乗せされた「二重の利益構造」にならざるをえないとなればたいへんです。そういう仕組みを、京大が招いてしまうかもしれないのです。まことに困った事態です。

 民間企業間の特許契約にはいわゆる相場というか常識というものがあります。契約書に無理難題とも取られかねないことを書いたりすれば、それは知的財産に関してせっかく民間企業間の暗黙の合意で築いてきた特許許諾契約のシステムを崩してしまうことになりかねません。そういうことを京大の知財部門の方々はわかっておられるでしょうか。

 多くの患者さんたちのために非常に心配するものですから、こんなことを書かせていただきました。皆さんはどうお考えになりますでしょうか。

 確か以前、「京大との共同研究による特許は京大に属する」と京大側が決めた規定に対して、ある大手自動車会社でしたか、「だったら、もう京大にはいっさい研究費を出さない」という交渉をされて、「その自動車会社は例外とする」といった決定がなされてしまったことがあったかと思います。世間で通用しないような規定を一方的に決めて、力の強い相手にだけはそれを適用しないというのでは、天下の京大があまりにも恥ずかしいことだと内部にいても思います。

 この規定の件は世間への影響はあまり大きくなかったでしょうが、iPS細胞を用いた再生医療は国民にとってはるかに大きく重要な問題です。ぜひもっと深くお考えいただき、国民の皆がなるほどと感じるようなご方針をご発表いただきたいと思います。

 

 

2008年4月23日

 上記のことを書いてみたと京都大学新聞社にお知らせしておきましたら、この報道の担当記者さんから早速メールをいただきました。特許出願については、記者さんが推測で「11月」と書かれたらしいです。確認を怠ったのでお詫びとのことです。京大は「非公開が原則」としているそうです。一般紙の記者さんが詳細を質問しても、「言えません」とのことでした。知財に関連することには口が固くなる印象が残られたようです。

 さて、昨日述べたように、京大が行うかもしれない特許契約の交渉(こうするかどうかはわかりませんが)では、かえって患者さんの費用負担が増えかねません。これを不思議な論理だと感じる方もおられるでしょう。もっと易しく述べておきましょう。

 何らかの契約によって、京大が製薬会社などから特許料収入を得たとしましょう。その特許料は製品価格を決める際、製品コストとして計算されます。そして、自由主義市場においては、回りまわった末に、最終的には消費者の負担へと上乗せされるということです。

 何を言っているかというと、京大がバイエルなど関連特許保有者の特許料を安くさせると言っても、京大が特許料を得るならば、それは結局は消費者の負担にならざるをえないということです。また、関連特許保有者は、何らかの形で市場から収益を上げるように行動しますから、収益を上乗せする人や組織が多いほど、価格は高騰していく傾向があります。

 特に医療関連は、他の製品やサービスと異なります。高いから買わないという需要と供給の関係ではなく、高くても代価を支払わなければならない患者さんばかりだということです。しかも、京大が広範囲の基本特許を取得し、この医療という市場からあまねく特許料を得るという方針をとるならば、患者さんという消費者たちはもうその網の目から逃れようもなくなるわけです。

 ここに大きな疑問があります。国立大学が、人間の命を人質に取ったような特許で収益を求めることが、ほんとうに許されるのだろうかということです。特許出願については民間企業並みに秘密主義、関連特許をもつ企業とはかなり踏み込んだ契約条件で交渉しようとしているかに見受けられます。知的財産という言葉を使いますが、国立大学の知恵を金銭的な「財産」としか見ていないのでしょうか?

 回りまわって患者さんの負担になるというのは、簡明そのものの経済学です。この経済学において、国立大学のような公益的な機関のとるべき道は、医療においては「特許の無料開放」こそが唯一の正しい選択肢であるはずだと私は思います。京都大学はこの特許を無料で公開します。どなたでも使ってください。対価は求めません。世界の人々の健康と福祉に貢献したいです。日本が真に国民を大事にし、また世界から尊敬される国となる道でしょう。

 このような方針をとったほうが、山中先生がノーベル賞をもらう確率も上がるし、その時期も早まるでしょう。特許の障害がなくなれば、臨床応用は急速に進みます。世界の医療界にきわめて迅速に貢献できるのですから、ご研究の価値はますます上がるというものです。

 ところが心配するのは、従来の国立大学的なペースやお役所的なペースというのを世間では感じておられるでしょうが、そんなゆっくりとしたペースで企業と延々と特許交渉をするのではないかというおそれです。通常の企業間の特許契約の習慣に基づくこともなく、何か決めることがあるたびに持ち帰って会議です。会議の招集には、うっかりすると3週間の余裕をもって通知しなければならないなど、内部の規定が適用されることがあります。患者さんたちは置き去りにして、医学関係者ではなく、知財関係者たちがこの特許交渉を続けるということにもなりかねません。

 その心配の一端が、今回の“秘密主義”にあらわれています。世界の医療界に貢献するのなら、一刻も早く、どのような特許であるかを京大が公開されたらいかがでしょうか。特許料で儲けたいのですか? それとも患者さんの命や苦痛を速やかに救いたいのですか? 京大のあるべき姿、学問のあるべき姿は何でしょう。理想を追い求める研究者たちの府として、今回の京大の振る舞いにはどうも疑問を感じざるをえないのです。

 なお、この件、本来は京大の中枢部やこの研究を推進しておられる優秀な研究者さんたちは、ご自身の頭で考えて当然たどり着くべき結論と考えますので、私からそういうお立場の皆さんに直接お伝えすることはいたしません。どのような展開になっていくのかを、この片隅のページで発信しつつ、見つめていたく存じます。京大が世界から尊敬される大学であり続けてほしいのですが。

(iPS細胞のお話の続きは2008年12月5日付に書いています)

 

 

2008年6月12日

 まただいぶ間が空いてしまいました。忙しいのです。今日が原告側準備書面の提出日と伺っていたと思いますが、いったいどうなったのでしょうね。

 また、iPS細胞特許に関してもう1回書きたかったのですが、何を書く予定だったのかもう忘れてしまいました。すみません。(iPS細胞のお話の続きは2008年12月日付に書いています)

 ですからワープロのお話に戻しましょう。ところが、河田さんからのメールは途絶えたままです。あれでおしまいだったようですね。

 さて、河田勉さんからは都合3通のメールを頂戴しました。4月9日付、10日付、11日付です。すでに2ヵ月以上前なんですね。東芝の最初の日本語ワードプロセッサでかな漢字変換部を担当された方です。

 河田さんが日本語ワープロに関して書かれた本『日本語ワードプロセッサ』(山本直三、河田勉、オーム社、201ページ、1985年刊)というご本があるはずですが、京大の蔵書にはなく、私も読んだことがありません。なかなか情報を入手しにくい方です。

 ご自身がお知らせくださったのはブログページで、「この紛争が起こる前に私が書いた日記です」とのことです。2006年10月10日付です。その前月に日本テレビ系「未来創造堂」という番組で日本語ワープロ開発が紹介されたので、「本当のことを書きます」だそうです。

 http://d.hatena.ne.jp/tsutomukawada/20061010

 入社3年目のこと、研究所長のGさん(玄地宏さんでしょう。郵便番号読取機の開発を主導された有能な方です)から問われ、「かな漢字変換文章入力装置ができます。3ヶ月です」と答えられたとのことです。その元になるのは、京大で研究しているときに、文章入力のためにご自分が開発された「ローマ字漢字変換」だそうです。玄地所長と森さんは、「だったら秋までに作ってデモをしろ」とおっしゃったそうです。

 しかし、「この世には漢字を表示するディスプレーもないし、漢字プリンターもない(数千万円の装置が東芝に一台在っただけでした。CAD用です)」ということで、ソニーテクトロニクス(私は懐かしいです!)のディスプレイを改造し、また漢字プリンタは日野工場の倉庫にあった新聞社用のもののインタフェース回路を自作してつながれたそうです。

 このあたり、私は部外者にすぎないのですが、河田さんのおっしゃることに、どんどん疑問を感じてしまうのが、自分でも困ってしまうのです(とりあえず今日見えるページを保存しておき、後日の変化を見させていただきます)。

 この世には漢字プリンタがなかった? では、日野工場にあった物は? かっこ書きの「東芝に一台在った」はCAD用ですから、ディスプレイという意味でしょう。実際、日野工場にあった漢字プリンタは「新聞社用」です。なんだ、漢字プリンタはあるじゃないですか。

 実際、私の記憶としても、1970年代半ばなら、新聞社用の漢字入出力機器はすでに各社が実用機を開発済みで、各新聞社で実用されていました。たとえば、情報処理学会の会誌1975年12月号「高品質を目的とした漢字情報処理機器」(柴田信之他)をお読みください。ウェブでPDFファイルを読むことも可能でしょう。

 漢字用の入出力機器はなかったように、森さんの本でもよく書かれるのですが、こういうところが非常に疑問です。ワープログループの手元になかっただけですし、それらをつなぐのは日常の作業程度の仕事だと思います。違うでしょうか。事実、これらを2週間で接続したうえで、3ヵ月の期限でかな漢字変換ソフトを作っておられるのですが。

 はてさて、入出力機器接続作業は瑣末な問題ですが、3ヵ月で開発されたのは「かな漢字変換プログラムと辞書」だそうです。その元になる「ローマ字漢字変換」がすでにあった?

 私は文章を注意深く読むほうですが、私のような人間から見ると、河田さんのような文章は、どんどん表現がずれていくか、内容の真実性に疑問を感じることが多くて、おっしゃりたいことがなかなか自分の中で理解できないのです。

 もしも「ローマ字漢字変換」がすでに存在したら、それはすなわち「かな漢字変換」でしょう。どこが違うのでしょうか? すでに存在するのに、研究所長や森さんに対して、これから開発するようにおっしゃった?

 河田さんが京大でやっておられたご研究の資料を以前ちらりと拝見した記憶がありますが、実は漢字は存在しませんでした。あるいはかな文字さえ存在しませんでした。すべてローマ字で日本語を表現したものでした。ローマ字が単語程度の単位で区切られていたデータですというか、ローマ字表現の日本語というのはそんな表現形式ですよね。それを対象として、日本語文の構造を解析するようなご研究ですが、日本語の包括的な辞書など当然存在せず、おそらくごく少数の単語について、たとえば動詞の活用などの文法情報をあらかじめ入力してあるデータを対象にされたのだと推測します。

 「ローマ字で表現された日本語文の解析の実験」といったテーマではないかと思うのですが、河田さんの書かれるものは、それが突然「ローマ字漢字変換」というまったく技術内容の異なるものとして表現されてしまっているおそれがあるのではないかと、私としては非常に読みにくくなってしまいますし、理解不能になってしまうのです。

 では、3ヵ月でかな漢字変換の実用システムを作れるか? ほんとうに実用レベルにしたのは誰か? また私見をぼちぼち書いていきたいと思います。

 

 

2008年8月6日

 あまりにも間隔が空きすぎています。めったに書く時間がありません。読んでくださる方はおられるのでしょうか。自分に向けて発信しているような文章ですね。それでもたまにワープロ開発の重要人物、河田勉さんのような方がメールをくださったりするのですから、何か世の中に向けて意見を述べることができているのでしょう。

 さて、かな漢字変換の実用システムを、3ヵ月で作れるかという途方もない問いを自分に発したまま、前回は終わったのでした。皆さんはどうお考えでしょうか。

 それに対する答えとして、「ローマ字漢字変換」ソフトですが、かつてたった2〜3週間で作ってしまった人がいます。現在、京大情報学研究科教授の佐藤雅彦さんです。ご自分用として作りました。「SKK」というソフトです。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/SKK

 作れるんですねえ。1987年のことです。現在は佐藤さんの手を離れ、SKK Openlabというところで開発を継続しています。「誕生秘話」はこちらです:

 http://openlab.jp/skk/born-ja.html

 佐藤さんがフランス出張をするにあたり、UNIX上のかな漢字変換がまだなかったので、略式のフロントエンドプロセッサを自作したということです。

 どういう仕組みになっていたのかを、一昨日、佐藤さんご本人から伺うことができました。

「辞書なし、文法なしだったんです」

「そんなのでかな漢字変換ができるのですか?」

「辞書は自分でだんだん追加していきます。最初は単漢字だけが入っていました」

「へーん、どんな仕組み? ソフトはどんなでした?」

「簡単です。2〜3週間で動きました。漢字にしたいところの先頭のアルファベットを大文字入力するんです」

「あ、なるほど。それならぼくも短期間で作れますね」

 大文字のアルファベットが入力されたら、辞書内で一致するものをすべて表示すればいいという方式だったと思われます。表示された中から選択します。該当する言葉がなければ、単漢字で入力して、辞書に登録。たとえば「逢沢」がなければ、「逢」と「沢」を漢字変換してから、「あいざわ」で登録すればいいのです。

 この方式でしたら、ぼくもその日のうちにでもプロトタイプのソフトを動かす自信があります。意外に簡単な作成法があるのですね。アルファベットの大文字で始めるというアイデアは、よそですでに使われていたので、それを利用されたとのことです。

 というわけで、短期間で漢字入力システムを作成することは可能です。たとえば、数ストロークのキー入力を、漢字1文字と対応づけるという入力法は、かな漢字型の日本語ワープロ以前にも開発されていましたが、ソフトはごくごく単純です。キー入力と単漢字とを対応づける表を作成するだけのことです。佐藤さんの方式もその発展形で、辞書を拡張しつつ、単語を自分で登録していけるという方式です。

 これらの方式のソフトがなぜ単純かというと、例外処理といえるほどの分岐がほとんどないからです。プログラム内での処理はほとんど一意的です。大文字が来たから、辞書を引くだけです。しかも該当する五十音位置を参照するだけです。そこから漢字候補の一覧を表示するだけ。このようなソフトはごく手軽に開発することができます。比喩的には、目をつぶっていても作れるようなソフトです。

 ところが、まともなかな漢字変換ソフトはそういうわけにはいきません。条件分岐を行うために、さまざまな判定が必要になりますが、条件がいくつに分かれるかも確定できないし、人間が扱ってもほぼ無数というしかありません。そもそも日本語文法自体が、正確なかな漢字変換に使えるほど精密ではありません。自然言語というのは文法的に例外だらけなのです。

 黄色い、茶色いはあるのに、桃色いはないですしねえ。これは辞書で対応できますけど。一方、大きな、小さなってどういう活用形? 大きめ、小さめとなると、文法辞書にこの変化形を登録し忘れてたかな漢字変換辞書なんて、過去にかなりあったでしょう。大きさ、大きすぎる、大きに(古語、関西弁で「大きにありがとう」の省略形)などなど、プログラムや辞書を作るのがすぐに嫌になります。文法書はそんな変化形を網羅してくれていませんし。

 私はかな漢字変換ソフトを作ったことがありませんが、作業量のおおよその見当はヤマカンでつけられます。学生にでも開発させるなら、ある程度の品質にするには、非常に優秀な学生でもおそらく2年ぐらいは見てやらないといけないでしょう。

 比較のために、将棋のルールをソフトに埋め込むという問題を考えてみましょう。学生にやらせるとしたら、私は1ヵ月ではきついと見ます。この程度まで単純明快に見えるルールでも、実際にプログラム化するのは面倒なのです。

 ルールを組み始めると、たとえば二歩や打ち歩詰めはダメといった例外規則を判定しなければなりません。千日手の判定になるとかなり面倒で、将棋ソフト選手権の上位のプログラムでも、その判定を組み込んでいないのがよくあるということを読んだことがあったかもしれません。持将棋(じしょうぎ)といって引き分け相当の場合は、各自の駒数で勝負を計算しなければなりません。

 さらに、当然ながら棋譜を読めないといけないし、棋譜を生成できないといけないのですが、右とか左とかはまだしも、寄るとか引くとか直ぐとか、棋譜の表現だけでもいろいろあります。しかも、人間の作った棋譜には間違いがありえますので、間違いを検出して対処しないことには、ソフトがまともに動きません。

 というわけで、人間の間違いにも対処するという点で、例外規則の数が不定になってくるおそれがありますから、最優秀の学生でも1ヵ月ではある程度の品質まで完成しきれないでしょう。実際に棋譜ファイルを入力すると、試行錯誤でプログラムにつぎはぎを続けなければならないでしょう。コンピュータソフトの世界というのは、意外なほど面倒なのです。

 この将棋ルールの場合との比較で、ヤマカンで述べるならば、まともなかな漢字変換ソフトは2年でしょうか。自然言語処理の基礎知識を有していて、かつ優秀な働き者であって、かつコンピュータソフトの才能のある人が作った場合に、そこそこ動いてくれるまでに、1年というのは期間がきつすぎるでしょうね。

 この期間には、日本語辞書作成期間は含めていません。辞書のサイズはいろいろでしょうが、かなりの調査期間やテスト期間が必要でしょうし、品質を向上させるための校正期間も重要です。おおまかなものでよければ、突貫作業で2ヵ月くらい。品質の高いものですと、2年くらいは見ないといけないでしょう。

 ただし、ここで述べたのは、かな漢字変換ソフトを作ったことのない私の推測にすぎません。しかも、年間数万行ぐらいは書いてしまうという最優秀クラスの技術者を想定しての見積もりです。実際には、かな漢字変換ソフトのように、完全無欠なものはまだ誰も作れないような人工知能の世界では、終わりのない開発と見ざるをえないでしょうね。

 例外判定が多すぎるのがあまりにも問題です。プログラムはスパゲッティ状態でグチャグチャになります。素人の利用者が操作して、インタラクティブに例外処理を行えるように作成するには、それこそ名人芸のプログラミング技術が必要です。

 河田さんには教えていただきたく存じます。3ヵ月でできたプログラムは、いったいどこまで到達できていたのですか? 河田さんが作ったその他のソフトの作品は? 開発期間とその悪戦苦闘の信憑性という点では、天野さんがこれまでおっしゃっていたことは、私には特に違和感がありません。

 ただ、どなたのおっしゃっていることが正しいのか、しかもご本人のご記憶違いや、時間が経過して後の無意識の美化なども行われますので、第三者にはわからないことが多いと思います。

 

 

2008年9月8日

 前回、将棋のルールをコンピュータソフトにするなら1ヵ月は必要だろうというお話をしました。自分の目分量があまりにもいいかげんすぎてはいけないので、翌日からほんとうにソフトを作ってみました。現在、コンピュータ対戦用に使われるソフトと遜色ない程度と思われる水準、すなわち商用ソフトレベルに近づけるという方針です。そのようなソフトでないと、商用日本語ワープロ用のかな漢字変換ソフトと比較できないでしょう。

 雑用の少ない夏休みというのは、大学人にとっては稼ぎ時で、仕事が進みやすいです。それでも、1週間に1.5日分程度は、自分で生み出してしまった雑用や、外部からの依頼などに割かれてしまうといわざるをえません。あるいは1週間に2日程度が雑用に消えてしまったかもしれません。その分が開発時間から削られてしまいました。医者通いが2ヵ所ありましたし、最後の週には大学病院で精密検査を受けないといけないというおまけまで付いてしまいました。

 さて、フルタイム労働で始めてみると、最も基本的な将棋のルールは、プログラミング2日目にはソフトに埋め込まれました。ではそれでおしまい? いいえ、そんなもので対戦用将棋ソフトにはなりえません。怠け者の学生などが、できましたといいつつ、役立たずでまともな成果など残せないレベルです。きちんと作るには、そこからえんえんと作業が続きます。

 たとえば、各駒の利きが及んでいる範囲を表現しておかないと、対戦時にどの駒が危険な状態にあるかなどを判定できません。利き判定部は必須です。しかも、飛車や角などの飛び駒は、いま利いていないとしても、間の駒が移動すると、それだけで利き状態になったりします。それを影利きと名づけて、一応判定することにしました。

 そんな表現法を工夫しつつ、将棋盤を表示できるようにしていると、すでに1週間ほど経ってしまいました。しかもプログラミングしているうちに、内部で使っているデータ構造を改良したくなりました。プログラムのサイズが1000行ほどのうちに、全体に及ぶようなデータ構造の変更を2回することになりました。3回目の大変更はあまりよくないとみて中止。それ以外に細かいデータ構造の変更を数度行いました。

 私はプログラマ定年から何十年も経っているので、ハラハラものですが、上品な葉巻の香りのしそうなプログラムという方針を心がけました。ときどきバックグラウンドにジャズの演奏を流したりしました。スタイルはオールドファッションですが、性能ではおそらくまだたいていの学生には負けないと思いたいです。

 あまり古臭いと笑われるので、クラスも新しく定義して導入しました。クラスというのはオブジェクト指向というプログラム言語で用いられる概念で、クラスも作っておけば、学生から後ろ指を差されないでしょう。超腕利きの若い人のようなプログラムではありませんが、数学の論文を書いているような状態のプログラムがだんだんできてきました。あるいは数学パズルか論理パズルのようなプログラムです(どこが将棋なのかわからないほど記号だらけです)。

 面倒なのは、計算スピードを速くすることです。たとえば利きの計算といっても、駒が移動するたびに毎回すべての駒について計算し直していたのでは損です。変化分だけを計算して更新する方式にしなければなりません。ところが、影利きなどの問題があるので、なかなか面倒です。下位レベルの京大生では作れないし、中位レベルの学生でも投げ出しかねないような難しさがあります。このあたりを洗練するのにだいぶ手間がかかりました。3週目に入ってしまいました。

 コンピュータ対戦用の将棋ソフトは、実は盤面を2次元では表現していません。1次元の配列としてコンピュータ内部で表現するのが普通です。コンピュータのメモリは1次元で番地が振ってあるため、将棋盤を2次元盤面にすると、計算するときにやや時間が余分にかかってしまうのです。そんな訳で、駒が盤面の端を飛び出しそうなときなど、計算によってそれを検出しなければなりません。駒が不正な動きをしないように常にチェックするのは、なかなかプログラミングが面倒です。コンピュータプログラミングというのはひたすら忍耐の仕事なのです。

 いろいろな判定がどんどん高度化していきます。同じ局面が2度現れたことを検出しないと、千日手の判定ができません。その判定のために、盤面を1マスずつ比較していたら、時間がかかってしかたありません。そこでハッシュ法という特別な技術を導入します。詳しいことは述べませんが、1局面を乱数のような1つの整数で表現してしまって、整数比較だけで高速に局面比較をできるようにしました。

 このようなプログラミングの過程で、バグ(虫)と呼ばれるプログラムの不具合との格闘が続きます。プログラムを書くよりも、バグを取り除くデバッグという過程のほうがよほど時間がかかります。ちょっとした変数名の取り違いなど、不注意によるバグなどが無数に入り込みます。ほんとうに面倒です。

 しかも、1局面あたりマイクロ秒程度の時間で処理できるようなプログラムでなければ、まともな対戦レベルのプログラムにはなりえません。私はただのパソコンでプレイさせますが、チャンピオン級の方たちは、その1桁上くらいの性能のコンピュータを使っています。ですから、ぎりぎりまで高速化に徹したプログラミングが要求されるのです。ほんとうはクラスなどのプログラミングテクニックを導入するたびに、高速性が少しずつ失われていくのですが、バグを少なくしてプログラムを書きやすくするという理由との兼ね合いで、デリケートな作業が続きます。

 そんなこんなで1ヵ月が過ぎました。利き計算を盤面全体で行って、1盤面10マイクロ秒台です。変化した部分だけを計算するように変更したので、だいたい1桁スピードアップしました。強いソフトと比べても遜色ない程度のデータ処理部にはなったのではないかと思います。強いソフトはOpteronXeonなど高性能マイクロチップを用いたコンピュータで対戦しています。8コアすなわちコンピュータを8台同時に用いるといった構成です(1チップに4コアで、2チップで実現できます)。そのぐらいのマシンで1秒100万手以上程度の計算が可能です。私のソフトは、対戦部をどう作るかがまだ未知ですが、シングルコアのパソコンで、秒速20万手未満程度を目指せればと思います。

 さて、ルールをプログラムに埋め込むといっても、やはり当然ながら各種の棋譜ファイルを読み込んで、それを表示できるようにしなければ、将棋のルールを扱えるようになったとはいえません。この段階に進んだときにハタと困りました。コンピュータ将棋協会が定めている「CSA形式」のファイルに対応するのが、予想以上に面倒だということがわかったのです。コンピュータ将棋の専門家さんたちが長年にわたって考えてきたファイル形式ですので、将棋で出てくるさまざまな状況を表現できるファイル形式になっています。もし学生に作らせたら、CSAファイルの読み書きだけで、1ヵ月で完成度の高いものを作れる人は少ないでしょうね。

 なんとかかんとかプログラミングして、ファイルの読み込みを行い、棋譜のとおりに駒を盤面で動かしてみせるところまでは、曲がりなりにも開発しました。確かに動いています。

 ただ、完成度を上げるのはこれからです。よそで作成されたCSA形式の棋譜ファイルを読み込むというのは、元のファイルの形式エラーに対応するなど、例外処理が非常に多くなる問題です。ファイル形式の仕様がほぼ厳密に定まっているようでいて、規格外のファイルというのがいくらでもあるのです。ファイル読み込みというのは、仕様内でのクローズドな対象の処理だけではなく、仕様外も考えたオープンな対象の処理とする必要があります。

 たとえば千日手は、CSA形式では「SENNICHITE」とファイル内に書かれているはずですが、「SENICHITE」や「SENNNICHITE」となっているファイルを見つけました。この分では「SENNITITE」や「SENNICITE」なども出てくるかもしれません。そんなファイルをエラーだとリジェクトしないで、読んでみたいという希望もありますので、プログラミングが非常に面倒になります。

 結局、1ヵ月のフルタイム労働で、ルールの主要部は自分で満足できる程度に組み込んだつもりですが、「千日手の判定」と「持将棋の判定」が未完のまま残ってしまいました。CSAファイルの保存部は作成途中です。棋譜の中の「右引成」など特有の表現は、そもそもCSAファイル形式には出てきませんので、まだまったく対処していません。1ヵ月ではきついと思ったとおりでした。

 このソフト以外に、WikiSchoolというテーマも抱えていたのですが、そちらはほとんどやれませんでした。CSA形式以外に、伝統的な棋譜形式のテキストファイルの読み書き機能も付けたいのですが、少し先になるでしょう。現状は、1ヵ月かけて、C++というプログラム言語を用いて、4000行を超えたあたりのプログラム(コメント行と空行を含む)です。ウィンドウデザイン部のコードが別にありますが、表示部品を画面に配置するだけで自動生成してくれるので、その部分のコードは含んでいません。ガラス細工のようにデリケートなところのあるプログラムで、処理の高速性を徹底的に追求したいと思って書いたプログラムです。

 文字の量でいうと、書き下ろしたプログラムだけで、新書判の本の6割程度まで来ています。本1冊を書いたことがない方は、それがすべてコンピュータプログラムであって、そのほとんどがきちんと動くというと、目もくらむように感じられるかもしれません。けれども、専門家の仕事というのはその程度の綿密さとボリュームを常に要求されるものですから、ごく日常的な仕事にすぎないとお考えください。年寄りの冷や水的なプログラミングでしたが、若い者には負けんという程度に近い働きだと認めていただければ嬉しいです。

 ただ、このソフト、まだ人工知能ソフトというレベルではまったくありません。単に将棋のルールを厳密にコンピュータソフトで組もうとしただけです。それでもこの程度の手間がかかるのだと、なんとなくおわかりいただけたら幸いです。細部の微妙な不具合に今後対処することも考えると、さらに2〜3週間程度の時間を想定しておかなければならないでしょう。ハッシュ関数部はまだまったく未検証ですし、CSAファイルや伝統的棋譜形式へのかなり満足すべき対応はなかなか大変な仕事です。

 そもそも本格的な人工知能ソフトというのは、もっとはるかに手間がかかります。「千日手」という言葉だけで、何通りの変種があるかを考えて、そのほとんどすべてに対応するといったプログラミングを地道に行っていかなければならないのと同類です。うんざりするような手間です。人工知能分野はまだまだブレークスルーに到達していません。

 しかも、現在のプログラミング環境は、1970年代より格段に進歩していることを付言しておかなければなりません。かつてこれと同じ将棋ルール処理のプログラムを書いたとしたら、とてもではないが1ヵ月では無理だったことでしょう。現在のように瞬時にコンパイル(プログラムからコンピュータの機械語への翻訳作業)が行えるのではなく、バッチ処理(一括処理の意で、プログラムをコンピュータ室に預けると、半日後ぐらいに実行結果が戻ってくる)の時代でしたし、プログラム言語の使い勝手は悪いし、いまの半分や3分の1以下の作業効率だったでしょうね。

 というわけで、結論的には、当時3ヵ月で作成されたかな漢字変換ソフトなるものは、いま将棋のルールをプログラミングするのに比べて、大幅に高度なものであったはずがない、と私は考えたくなっています。いかがでしょうか。

 推測すると、3ヵ月のかな漢字変換ソフトには、たとえば「千日手」の表現違いに対する例外処理といった機能はほぼ含まれていなかったのではないでしょうか。そういったきめ細かいプログラミングが実は非常にたいへんな部分です。日本語ワープロの利用者は、ありとあらゆる間違い入力を送り込んできます。それに何とか対処しつつ、実用に堪える日本語機能を提供するというのは、まさに死に物狂いの仕事だったでしょうね。

 そんな仕事がたった3ヵ月でできたというのでしょうか。何年分かの作業量をいったい誰が分担しつつ担当されたのでしょう。関係した開発者さんたちはご自分の仕事を美化する方もおられるでしょうから、第三者が真相を知ることはきわめて困難です。ですから、ともかくも定量的な実験のつもりで、将棋のルールをコンピュータ化してみました。このページを読まれている方にとって、もしも何かのご参考にでもなれば幸いです。

 なお、この実験の結果、将棋ソフトに凝り始めています。これはなかなか面白いですね。けれども、私は将棋をよく知らない人間であるため、どうやってプレイさせれば、強いソフトになるのかがさっぱりわかりません。私には一般的なゲームプレイングといった人工知能分野の知識しかありませんので。いま息子から将棋の本を借りたりしています。中学時代に将棋部だった程度の息子ですので、子供用の将棋の本です。

 

 

2008年10月10日

 また1ヵ月以上が経過してしまいました。何をやっていたかというと、別のテーマ(WikiSchool)に移って論文を書いていました。そちらでも学生を指導して、これからやっとソフト作りの準備に入るところです。

 将棋ソフトの続きはほとんどやっていません。多少ブラッシュアップした程度です。対戦の仕組みはまだいっさい組み込んでいません。技術者の普通の時間の使い方はだいたいこんな程度です。あっという間に1ヵ月など経過してしまいます。

 WikiSchoolというウェブ関係ですが、プログラムやサイトの開発は他人に頼らざるをえません。このページさえただのワープロソフトのWordで書いて、それをそのままアップロードしています。HTMLなどの実技を訓練する以前の世代の人間です。やればできるだろうというところにしておきましょう。実際、1ヵ月と数日で4500行あったプログラムを学生に見せたら、学生が恐怖を感じていました。その開発スピードが恐ろしかったのでしょう。私はまだまだ学生さんたちに負けていないのかもしれません。

 そこで、学生に言ってやりました。ある大手企業で、普通の能力のプログラマは、製品品質で1日20行程度。1年250日で5000行といったところ。京大生だから、その2倍程度、年1万行程度を書きたまえ。修士論文に2年かけて2万行だね。

 それを聞いていた別の先生がすぐに賛同されました。ソフト系の他の先生に伺っても、何かまとまった仕事をするにはやはり2万行程度。非常によい見積もりだとおっしゃるのです。

 自分のまわりでの経験や、世界の名プログラマさんたちの数値を稀に見つけることがあったときの感触として、年5万行を相当の品質で書けるのが、世界のトッププログラマ、いわゆるハッカーやウィザードと呼ばれる人たちの中で一流レベルの水準だと思います。それだけの能力があったら、どこへ行っても通用して、この世界でトップレベルです。日本にはなかなかいないでしょう。

 確かに5万行というのは意欲的な目標でして、1日20行などと言われると、そんなのは30分もあれば書けてしまいそうで、退屈してしまいます。やはり年5万行くらい書かないと、仕事をした気がしないという働き中毒の人たちがいるのでしょうね。文字数でいっても、流行作家の生産量程度のプログラムを書いてしまいます。

 けれども、それほど生産性が上がってきたのは、プログラム開発環境がかなり快適になった時代以後のことです。昔のバッチ処理(一括処理)の時代、プログラムを計算センターに預けて、半日後くらいにしか結果をもらえなかったころは、数分の1の生産性だったでしょう。

 京大内で自分が実際に見た人たちの中で、年5万行くらい書きそうな人は、何十年かで数人程度でしょうか。80年代前半に1ヵ月で6000行作ったとか、90年代前半に1ヵ月で1万行とか、その程度のペースで書かないと、この目標は達成できません。プログラムの難易度にもよりますので、行数だけでは測れませんが、特に難しい内容でなければ、名プログラマたちなら月1万行は楽々です。将棋ソフトはかなり凝った構造にしましたので、だいぶ慎重に作りました。それと私はもう年です。

 昔の天野さんはおそらくそういう最高水準あたりの能力を持っておられたのだろうと推測します。東芝総研で1号機のワープロを見せていただいたとき、技術的な細部を知り尽くしておられましたので。一方、河田さんについてはわかりません。というか、私は河田さんのしておられた文字認識にも近い人間なのですが、そんなペースで仕事をしておられたと推測される学会発表の記憶がないのかもしれません。

 また森さんはもう一つ前の世代の方ですし、どうなんでしょうねえ。郵便番号読み取り機のプロジェクトにも参加しておられましたが、それは玄地宏さんが獅子奮迅のプロジェクトですし、森さんは切手押印部? 前処理としての文字切り出し? 玄地さんは亡くなられましたし、最初の数字認識の核心部を開発されたと思われる方は夭折されましたし、格段に認識率を向上させたその後の装置は、飯島泰蔵先生の理論が主役です。以前ご紹介した本で森さんが述べられたことは、もしや亡くなられた方へ失礼ではないかと調べたくもなっています。ワープロよりもさかのぼってしまいますが、どなたかよくご存じでしょうか?

 

 

2008年12月5日

 さて、2008年4月22〜23日に、iPS細胞特許について書きました。もう1回書く予定だったと6月12日付で述べたのですが、延び延びになってしまいました。今日はiPS細胞特許のお話の続きです。

 これまでのお話を要約すると、もしも京大がiPS細胞の重要特許を握ったとして、その特許料を請求すると、結果的にその金額が医療費に上乗せされていくというのが、以前に書いたお話の骨子でした。医療という人間の命にかかわる特許で、国民の血税で運営される大学が、そういう方針でよいのだろうかという疑問がありえます。

 簡易な対策としては、特許料をなるべく安価にするというもので、その後、京大としてもそういう方針を取るというお話が聞こえてきましたので、配慮はされているようで、現在の京大の運営体制は良好であるようです。

 ただ、今回はさらに踏み込んだお話をしておきたいと思います。無料にするほうが日本のためであり、京大がその重要な一翼を担う可能性があるというお話です。ビジネスでいう「損して得取れ」などという低次元ではなく、わが国の国際戦略としての大きな重要性をもっているかもしれないと思われる考え方です。

 すでに述べたように、私たちはWikiSchoolという研究プロジェクトもやっていて、世界の60億人以上の人口のうち、50億人以上を占めるという途上国の子供たちのために、無料の初等・中等教育サイトを運営していこうとしています。さまざまな人工知能技術で教育を支援します。昨日も研究会でそのお話をしていたら、ベトナムから来た留学生君などが非常に好意的でした。

 世界の経済・政治などのバランスはいま大きく変わりつつあります。新興国群が世界の方向性に対してますます影響力を高め、まるで先進国だけが世界かと錯覚していた時代とは様相を一変しつつあります。首脳会議はもはやG7ではなく、少なくともG20ぐらいに一気に拡大してしまったのです。人口13億人以上の中国や、10億人以上のインドなど、日本よりはるかに重要度をもちつつある国が、世界の将来に関して真剣に議論に参加しています。

 そんな国々は何を考えているでしょうか。わかりませんか? 少なくとも日本の宰相よりはよほど立派でしょう。彼らは世界の新興国や途上国の代表者となるべき自分たちを意識して、将来的な地球レベルでの貢献を常に目指しているというのが基本的なところであるはずです。

 医療に関しては、インドの考え方は特に先進的です。彼らの新しい政策は、途上国といわれる各国から絶賛をもって迎えられました。そのことがあるものですから、京大のiPS細胞特許に関してもここで意見を述べたくなったのです。京大の中枢部では、そのような世界の変化も当然知っていると思いたかったのですが、どうも十分な配慮がまだ見えてきません。

 インドは2005年、特許法を改正しました。特に注目されたのが、医薬品に関する特許を大幅に制限したことでした。理由は、先進国の提供する医薬品が高すぎて、途上国で治療を受けられない人が非常に多いという事実でした。インドでは特許を認めない。薬の価格を劇的に安くする!

 実際、2007年に、インドの高裁は、スイスのノバルティスの新薬は改良品にすぎないとして、その特許を認めないというニュースが世界を騒がせました。最高裁に上訴するかもしれないところでしたが、ノバルティスは上訴を諦めました。途上国すべてを敵に回すとでも考えたのでしょうか、それとも医療にかかわる企業としての社会的責任を強く意識したのでしょうか。国境なき医師団は「途上国にとって大いなる勝利である」との声明を発表しました。

 インドでは独自に薬を製造して、世界の途上国に供給しています。特許料を支払わない医薬品です。途上国のエイズ患者の過半数がインドの薬を使っていると書いているサイトもあります。ノバルティスの薬は白血病治療薬でしたが、純正品なら年2万6千ドルかかるところ、インドのジェネリック医薬品なら2100ドルですみます。まさに薬九層倍の世界なのです。

http://ipsnews.net/news.asp?idnews=38805

 特許などの知的財産権は独占権であることが大きな特徴ですから、それをどう有効に使うかというのは、非常に重要な問題であると思います。対価を最大化するという使い方では、学問の府としては単純すぎるでしょうから、京大でもいろいろな活かし方を考えているものと推測します。お金の問題ではないのです。

 そのときに今後は特に意識しておかなければならないのは、途上国・新興国への配慮でしょう。日本といえばエコノミックアニマルでモラルハザードの国と思われているなら、国民としても悲しいかぎりです。世界から尊敬される国になるために、最高学府の役割というのは非常に大きいと思います。ノーベル賞学者を輩出するだけでなく、国の考え方を先導するようなさまざまな役割を求められるでしょう。反骨の京大は、かつてはその役割をかなり果たしてきたのではないでしょうか。

 九層倍の医療費をいかに抑制するか。重要な基本特許はその武器にもなりえます。かつてトルコの難破船を救ったため、いまだにトルコで日本が尊敬されているように、国民感情は小さなところでも変わります。湾岸戦争のとき、トルコの航空会社が日本人を救ってくれました。今やついにバイオ技術の一つの核心となる技術を握ったのなら、それを日本国民のために最大限効果的に使っていただきたいものです。

 ただし、途上国では無料、先進国は有料という方針には無理があるでしょう。世界はすでにボーダーレス化しているからです。つい先日のインドでの同時テロのとき、日経新聞の記事を見て驚きました。インドに進出している日本企業の対策が書いてあったのですが、具体的に名前が出ていた企業を並べましょう。コマツ、日本精工、三菱重工、スズキ、トヨタ、新日鉄、第一三共、アステラス製薬、エーザイ。自動車関連と並んで製薬が中心でした。特許法が変わったことによって、日本の製薬会社がどんどんインドに進出しているのですね。特許法改正のことを知らない人には、なぜ製薬かという理由がわからなかったことでしょう。

 特許の足かせなしで薬が作れるなら、新たなビジネスチャンスだという考え方があるでしょう。営利企業ですから、それは重要な判断です。結果的に多くの人類が救われます。

 では、京大はインドの特許戦略に頼ることによって、途上国の人々の救済への道を拓くべきでしょうか。他力本願では頼りないですし、先手必勝戦略すなわち自ら決定することによって、世界から尊敬される道を選ぶべきでしょうね。さすがに基本特許となりますと、インドの枠組みでも対応しきれないでしょうから。

 すなわち、iPS細胞特許は医療用途には無償供与。たとえば、もしもオープンソースソフトにおけるGPSライセンスと類似の枠組みを京大が提案したとしたら? すなわち、この特許をライセンスされた者は、派生特許の医療用途も無償とする! 非常に衝撃的です。医療と特許に対する世界の考え方に大きな変革を迫るものとなるでしょう。

 大変な太っ腹ですが、深い読みがありえます。iPS細胞は医療にしか使えない? いえ、それ以外の応用が無数にあるはずだからです。医療でなければ適正な対価を得る権利を留保できます。では、もしも世界食糧危機が来たとき、農業応用は? 臨機応変に対応できる余地を残せばよいでしょう。

 世界から日本がもっと尊敬されるのではないでしょうか。親日的な国が増えます。特に新興国や途上国群においてです。世界の人口の大部分が日本を好意的に思ってくれる日がくれば嬉しいかぎりです。しかも、このような特許戦略の決定者は、やがてノーベル平和賞などを受賞することになるかもしれません。

 霞が関では、京大に対して常に一目置くべきことになるでしょう。さまざまな計画を京大から提案したとき、京大をおろそかにして、東大の半分などとすることができなくなるかもしれません。京大の地位の向上、受験者増、そして高邁な心をもつ真の後継者たちがどんどん育ってくれる契機になれば、ほんとうに京大にとっても幸せなことですね。

 ただし、iPS細胞特許関連の事業化はすでに私企業が出資などでかかわっています。話が違うといわれるのが必定でしょう。しかし、出資は小さな金額です。担当者の交渉によって、十分に納得していただけると思いますし、それだけの交渉能力をもつ方がおられるでしょう。出資者にとっては損して得取れ程度のお話ですね。

 というわけで、iPS細胞特許のお話は、世界における日本の役割という第3話にまで行き着いたわけです。テコと支点を与えれば、京大は日本をも世界をも動かすという気概、ほしいですね。期待しています。

 さて、将棋ソフト、今日やっと1万行を超えました。数学の論文みたいなプログラムで、文字量がすでに単行本1冊半程度ですから、プログラミング地獄でした。対戦部に入りかけたばかりですが、インフラ部がだいぶ巨大になりました。現状はまだ週7日制×1日11時間労働×52週=4004時間/年の巡航速度で行けています。ただ、毎日余分なことに時間を取られることが多く、特に秋は週末を毎週のように行事で削られ、細々とやっている仕事としては大変でした。まだ半分まで来たところのつもりですが、出来栄えには大いに満足しています。年寄りの冷や水でプログラマ定年をはるかに過ぎたものの、たまにプログラムを書いてみるのも楽しいものです。

 なお、ワープロ訴訟のお話は次回になってしまいました。

 

 

2010年7月1日

 ワープロ訴訟のお話があまりにも途絶えていました。その間にだいぶ進みました。

 なぜ何も書かなかったかというと、原告側と被告側からたくさんの証拠書類が出てくるのですが、被告側が閲覧禁止を求めるからです。特許情報が漏れるといけないというのが理由らしいです。特許情報は公開が原則ですし、すでに特許期間が切れた特許なのですが。

 そんなわけで、あまりにも長い間にわたって、日本語ワープロ訴訟のお話が闇の中に眠ってしまいました。このブログが裁判の結果に影響を与えてもいけませんし、書かないのもしかたなかったとご理解ください。

 そんな事情なのに、なぜ突然書くかというと、まず先週の2010年6月24日(木)に、ついに証人尋問が開催されたのが一因です。天野さん自身と、被告側3人の技術者の尋問でした。民事訴訟では証人尋問はめったにないのですが、被告側が和解を拒んでというか、評価額の差があまりにも大きかったので、とうとう証人尋問まで行ってしまったのです。

「通常は証人尋問が裁判の最後なので、判決が出るでしょう」

 とのことらしいです。ほんとうでしょうか。

「原告側にあまりにも有利!」

 というのは、ぼくの勝手な感想でした。「あまりにも」というのは付け過ぎでしょうか? しかし、審理を尽くして、被告側の主張を正当に認めてもらえるのですから、それは有利あるいは公平・公正という点で、裁判として理想的な展開でしょう。

 どんな尋問でした? あまりも技術的な尋問ばかりでした。当事者以外にはわからないような技術上の細部にわたる尋問でした。天野さんは、被告を自ら尋問したかったのですが、尋問は弁護士さんたちの仕事です。法律の専門家がくたびれ果てるような尋問だったのではないかと思います。特許訴訟というのはそういうものでしょう。

 ぼくが想像したのは、もっと映画やドラマにあるような尋問でしたが、現実はまったく異なるようですね。映画やドラマだったら、われわれにもわかるような言葉でスリリングな尋問が行われます。実際はもっと地味なものです。

 たとえば、「日本語ワープロ」の開発というと、「アンダー・ザ・テーブル」の研究だったというのが、非常にしばしば語られてきました。グーグルで検索すると、「日本語ワープロ アンダー・ザ・テーブル」で1万2700件です。「アンダー・ザ・テーブル」とは「会社として正規の研究テーマではなく、研究者たちが勝手に行っていた研究テーマ」という意味です。東芝ではそういう制度があり、研究者は2割の時間をアンダー・ザ・テーブルの研究に使うことができました。

 もしぼくが裁判映画でも作るんだったら、この「アンダー・ザ・テーブル」を物語の伏線にしながら、裁判のクライマックスで、大逆転につなげてみたいですね。どう使うかというのは、ちょっと思いついただけなので、ここには書きません。それと、この裁判は順調に進んできたようなので、大逆転という概念が存在しないようです。

 で、ふとこのページに書き加えたのは、昨日、「Tsutomu Kawada」さんという方から、フェイスブックの招待状が届いたからです。「Tsutomu Kawada」さんって誰? フェイスブックというのはひどいですね。ローマ字名しか情報がないので、どこの誰だかわかりません。このブログに出てきた河田勉さん? だとすると、何のためにフェイスブックに招待してくださったのでしょうか?

 わからないですが、河田さんからは以前に数通のメールをいただいただけで、親しい方ではありません。だからご本人に問い合わせるのもはばかっています。それと、たとえば菅直人さんという名のツイッターだって、ご本人かどうかわかりません。しかも何人もが名乗っていたりして。だから、うっかり交信して、偽の河田さんだったらどうしましょう?

 そんなわけで、まずは独自にフェイスブックに登録してみようと思って、フェイスブックのサイトに接続してみました。登録の途中で、携帯電話で認証することを要求されました。ところがぼくは、わが家でただ一人、携帯電話を持っていないんですね。弱りました。携帯電話以外の登録法のリンクがありましたが、それをクリックしても、さっぱり登録できません。その登録法はまだサイトに組み込まれていない?

 というわけで、謎のKawadaさんのフェイスブックを確認しようもなく、またフェイスブックに参加登録できないままのぼくです。紺屋の白袴ですみません。

 今日のお話でわかることは、裁判はずっと進行中でしたし、2007年に提訴した裁判が、2年半たってもまだ地裁で進行中であること。裁判は休んでもいないし、アクティブに行われていたのです。数ヵ月おきぐらいのペースのようです。で、ご本人かどうかわからない人からも、ぼくのところに接触が行われようとすることもあるし、どこかで裁判情報がウェブサイトなどにいろいろ公開されているらしいと推測できることです。ただし、裁判で非公開になっている情報は、どこにもなさそうですが。

 

 

2010年7月13日

 天野さんとぼくは一緒に研究をしていて、毎年、何件か論文を発表しています。その中でも、2年前に彼のアイデアで書いた「知的インフラストラクチャ構想(Intelligence Infrastructure Initiatives, III)」(情報文化学会誌)という論文が、だんだんと重要性を高めていると思います。

 一言で言ってしまうと、「III」は「グーグルを超える検索エンジン」構想です。自然言語処理技術など人工知能技術を駆使して、グーグルを超える情報提供環境を日本で作ってしまおうというもの。ぼくも大賛成です。

 この構想、内部では「人工女神」と呼んでいます。天野さんの命名です。神の領域にあるような人工知能を目指していて、しかも誰でも使えるシステムです。

「世界の情報を集めて分析すれば、未来をもっと正確に予測できるか?」

 というのが、天野さんの最大の興味です。論文には近未来予測の「推論部」が図示されていて、たとえば「原油価格の高騰で何がおきるか」といった予測問題を想定しています。

 ぼく流にいえば、世界を覆っているのは「不完全情報ゲーム」であって、それが世界中の情報強者と情報弱者の間に不公平を生み、かつ「世界を不安定化させている重要な要因」だということです。より正確な予測ができれば、世界経済は今よりも安定するだろうという期待をもっています。

 この論文は2008年7月に投稿したのですが、世界の不安定化を心配したぼくらの不安はすぐに的中したと言ってよいでしょう。その年の秋にさっそくリーマン・ショックが起こったのですから。そして、昨年からはギリシャ危機に引き続き、欧州連合全体のユーロ危機へと発展しています。

 ぼくがペンネーム逢沢明で連載している雑誌の最新号では、「日本国債の格下げリスク」を警告しています。いま発売中の号ですが、アメリカの格付け会社が年初に「日本国債の格下げを、6月の財政再建中期フレームの内容を見て決める」と明言したからです。つまり世界の不安定化に日本も巻き込まれる恐れが少なからずあるということ。参院選の結果を見て決めると最近は言っていました。

 こういうことを知っていれば、少しは情報強者なんですが、このところ日本国債の利率がかなり下がっていました。つまり買い手が多くて、安全な金融商品だと思う人が多かったようです。中国などまでがユーロ債を手放し、日本国債に乗り換えています。もちろん日本の金融機関なども代表的な買い手です。

 日本国債を買ってもよいのか、それとも売り払うべきなのか? 非常に難しい問題ですが、金融機関の中にも、国債格下げ問題を知らずに買っているところもかなりあるのではないかと想像します。なぜなら、かつてのバブル崩壊時に、ほんとうの情報を熟知していた金融機関は非常に少なかったと思いますし、大手の銀行がどんどん倒産したりしたのですから。

 つい最近もアメリカでは、誤発注をきっかけとして、瞬時に株価が暴落するという現象が起こりました。コンピュータを使ったアルゴリズム取引がその主因の一つだったのではないかと疑われています。つまり誤発注だったとしても、コンピュータがそれを正しく推論できずに、アメリカの株式市場を一瞬にして不安定化してしまうのです。かつてのブラックマンデーもプログラム売買のシステムによって起こったといわれています。

 こういう問題に人工知能技術によってきちんと対処することが、IIIの大きな目標です。ぼくらはそのための人工知能技術を開発するとともに、予備調査として株式や為替、原油、金価格などの金融市場を見ています。日々、どんな情報が現れ、それによってどんな値動きを起こし、そこには価格変動の行き過ぎがどの程度あるか(オーバーシュートやアンダーシュート)などを、まだ原始的な方法で観察しています。

 見ているとよくわかるのが、日本の弱気主義です。アメリカや中国の市場が動くと、追随して動くことが多いです。自分たちでは率先して判断できず、主体性のない動き方をします。つまり以前の日本は経済大国といわれてきたのに、今はすでに情報弱者の地位に落ちてしまっているのだと痛感します。

 この種の生々しい情報を扱う研究は、国内のアカデミズムの場でも行われることが少ないのも原因の一つでしょうか。だんだんと世界から後れを取っていっているようです。バブル崩壊の後遺症もありますから、そんなギャンブルみたいな研究はせずに、大学はスコラ哲学者のような雰囲気でいるべしということでしょうか。ますます日本が沈滞し、かつ学問の場が世の中から遊離していきかねません。

 世界はギャンブル化? むしろたとえば株式市場というのはギャンブルの場ではなく、自由主義経済の根幹をなす金融市場であることをしっかりと認識するなど、工学者も現代経済社会へのものの見方や考え方をより透明な目で見つめ直すことが必要でしょうね。

 そんなわけで、もし日本国債が格下げされ、それによって国債の利率が上がって、万一の場合には日本の財政破綻を招来し、ギリシャのような混乱を招くといけないなどと思いつつ、牛の歩みで研究するしかないのがじれったい思いです。しかも、実際にポケットマネーで運用実験をしてみようかなどと思っても、情報を知るのと実践技術との間には大きなギャップが存在するのも事実です。たとえば1990年代のイギリスが金融立国に大きく舵を切ったように、日本も今後は情報立国が可能かなどを考えるにも、さまざまな技術開発やシステム開発に基づく検討が必要なのだなと思っています。

 

 

2010年7月22日

 何人かの方に話していると、「III」すなわち「人工女神」の研究は非常に評判がよく、興味をもって聞いてくださいますし、反響があります。専門家の方には、予測で用いている手法も話してみたりしています。

 先日も梅棹忠夫先生が亡くなられて、新聞社がぼくのところにも取材に来ましたが、そのときに話したことを少し補足しましょう。新聞に話したことはそのうちどこかで記事になるでしょうから、その分はここには再記しません。

 ぼくが科学の手法を学んだのは、一つには梅棹先生のお仕事で勉強させていただいたことが大きいです。特に梅棹先生の比較文明学は素晴らしいです。ぼくが科学の手法を学んだもう一つは物理学ですが、梅棹先生の比較文明学もその手法と非常によく似ています。

 物理学のほうで述べるとわかりやすいと思いますが、近代物理学は、限界状況あるいは極端というべき対象を調べることによって、進歩してきました。望遠鏡などを用いて、宇宙というマクロの極端を調べられるようになりました。顕微鏡などで、ミクロの極端を調べ、やがては素粒子にまで達しました。その他、超高温、超低温などを調べていくのが、物理学を顕著に進歩させるための先端領域です。

 梅棹先生の文明学が素晴らしいのは、そのような研究手法を文明学にも導入されたことの必然であると思います。すなわち、文明の辺境まで足を踏み入れ、探検することによって、文明というものの真相を見つけようとされたのです。レビ・ストロースの『悲しき熱帯』など、文明学の重要な研究は、要するに物理学とも同じ手法なんですね。

 天野さんとぼくとは、そのような科学の基本的手法を情報学にも導入しようとしていると言ってよいでしょう。情報学における限界状況や極端の地はどこにあるか。ぼくが以前から長く研究しているのは、複雑系ですが、複雑さという極端は、情報学や物理学における最も重要な最先端領域だという認識を歴史が築いていくものと思います。

 それと同様の考え方をしていきますと、金融情報も限界的な情報分野として、おそらくトップクラスの重要性をもつものだと思っています。もう一つは、セキュリティ関連などの犯罪にもかかわる情報分野、それは現代社会では著作権問題とかかわる部分でもあまりにも日常化しているテーマでしょう。

 このようなテーマは工学分野では意外に研究者が少なく、ぼくのいる建物でも専門家はごく少ない状況です。あるいは、正式に専門家を名乗る人はぼくの建物にはいないのかもしれません。

 ところが、物理学などの伝統的科学分野で大成功を収めてきたのは、こういう限界分野を発展させてきた人たちなんですね。科学はいつも辺境に芽生えるというか、ごく少数の人たちが新しい辺境の重要性を認識し、辺境を必死で調査し、考え抜いた末に生まれてくるものなのです。

 それに比べて、日本の学問状況は、海外でやっているからその後追いをしようとか、それも改良程度の仕事にとどまるなど、頼りない方法でやっている人がかなり多いのではないかと心配します。新しい辺境分野を骨太に、勇気をもって研究していく人が増えてほしいものだと思います。

 

 

2011年3月3日

 足かけ8ヵ月ぶりに書きます。裁判に影響を与えてはいけないと思って、控えることにしていたのが実情です。

 判決予定日は、

   3月18日(金)15時

に決まっています。ですから、そろそろ情報発信をしてもよいでしょう。

 実は、上記の判決日もまだ流動的になる恐れがあります。これまで裁判長さんが勧める和解に、被告の東芝はまともに対応してきたことがなかったのですが、いまごろ急に和解の話し合いをしたいと言ってきているそうです。これは何なのでしょうね?

 東芝の裁判担当部署で人事異動があって、年度末で交代するのだが、自分の担当期間にこの裁判の判決が出るのが避けたいから、単なる引き延ばし戦術? 急に手のひらを返してきたので、そんなことも推測されます。ただし何の根拠もない憶測を書いているだけですが。その他にも理由があるのでしょうか? 判決は東芝として困るとか。

 和解には守秘義務条項がつくことがありますが、判決にはそんなものはつきませんので、判決さえ出れば、原告は言論でフリーハンドを獲得します。それは大きなメリットでしょうね。東芝内部でそれを避けようという判断が出始めた?

 ここではほとんど書きませんでしたが、裁判資料で秘密でないものは、ぼくは大量にもらっていた一人です。それから裁判に出なかった資料も大量にもらっています。逆にぼくが調べて差し上げた資料も少しはあります。

 裁判外の資料には、裁判前に天野さんが森健一さんに送られた丁重なメールなどを含みますし、彼の何人もの同志というべき人たちのリスト――もしも天野さんに万一のことがあっても、同志たちのネットワークがあって、それが徐々に拡大し続け、資料を共有しているということです。

 そのうちでぼくなどはまったくの部外者ですので、ここで自分で勝手に書いているだけです。裁判関連での彼の言や書面では、まったく名前など出たことのない人物です。それでも志をともにし、何かがあったときには、自分が何をできるか、何をすべきかを考えている一人でしょうね。もちろん、もっとかかわりの深い人、強い義憤をもっている人たちもいて、そのリストをぼくも知っているわけです。

 そのようなわけで、巨大企業を相手にして、あまりにも弱い個人がたった一人で起こした訴訟にすぎませんが、万全とはいえないまでもできるだけの手は尽くしています。

 しかも、これは真実と名誉のための戦いであるというのが天野さんのお立場ですし、裁判で対象となるのは何兆円ものワープロ販売期間のほんの最後の1〜2年ほどの分。ワープロ専用機の売り上げがすっかり落ちてしまっていたころだけが対象です。金額の問題ではないという訴訟です。

 なお、この裁判とほぼ同時進行で3年間あたためてきたぼくのアイデアは、そろそろ執筆に入ろうかというところです。これは裁判とは無関係な内容ですが、ちょっとした期待の書です。日本の体制についても触れますので、もしかしたら裁判と多少は関係した内容を入れることになるかもしれません。

 その次の本も書きたいと、以前から天野さんに言っています。わが国のITの歴史における実相や、あるいはわが国の伏魔殿にもどれだけ迫れるか?

 裁判は控訴になることもありえますので、部外者のぼくとしてはまだゆっくりと構えています。

 

 

2011年3月10日

 判決予定日が延期されたそうです。

   4月8日(金)15時 421号法廷

 どうしたのでしょうね。単純な延期でしょうか。

 それとも、被告が裁判所に内緒で再び和解交渉を望むのは、被告が弱気だからでしょう。それはこの裁判で原告が正しいということの裁判外の傍証にもなりえますから、より原告有利に判決を修正するのでしょうか? さもありなんです。ただし、ぼくのまったくの憶測ですから、信じないでくださいますよう。

 

 

2011年4月6日

 明後日の15時から判決です。原告の記者会見は15時30分からです。

 この裁判の根底にあるのは「技術者を大事にしない東芝」という大問題でした。「日本語ワープロの真の発明者を問う」という真実と名誉の裁判ですが、この大問題を含めて今後の戦略を練っています。福島第一原発事故が起こったため、判決があってもそれで終わりとせず、いかに世の中に貢献するかという戦略です。

 東京電力の損害賠償額は、アメリカの試算では3兆円から10兆円という推計がなされています。東電の総資産は14兆円ほどでしたが、すでに福島第一で数兆円が失われました。有利子負債が7.5兆円ほどでしたが、さらに2兆円積み増しました。もはやつぶれかねない状態です。

 東芝はこの事故を起こした原発を納入した企業です。この状況で、天野さんの知り合いの原発技術者たちと連帯するという考えが浮上しています。東芝を放り出され、しかしウエスチングハウスの買収で呼び戻されようとしたりで、東芝の身勝手に憤慨している技術者たちです。

 東芝を東電に連座させます。数千億円〜1兆円規模の損害賠償です。これによって東電をつぶさない可能性が高まるなら、政府は非常に喜ぶでしょう。また、政府から東電への支援額を減らし、国民の税負担を減じるなら、国民も大喜びです。技術を知る元東芝の原発技術者たちと連帯し、この事故の真相を明らかにしていくことは、政府にとっても国民にとっても大きな利益であり、正義であると思います。

 それ以外に、1000億円級の株主代表訴訟なども検討しています。東芝側は今回の裁判があまりにも恥ずかしいのか、判決文の第三者閲覧まで申請していますが。

 

 

2011年4月8日

 本日15時から、「日本語ワープロの真の発明者を問う」裁判の判決が東京地裁であります。原告は天野真家湘南工科大学研究科長(元東芝研究所長)、被告は東芝です。原告の記者会見は15時30分からです。

 「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」によれば、原発を製造した企業には賠償責任はありません。これをすでに報道したマスコミもあります。

 しかし、同法の適用対象に関して、第二条2項に「損害を賠償する責めに任ずべき原子力事業者の受けた損害を除く」とあります。つまり、東電の受けた損害に関しては、この法律の別扱いだということです。事故が起こった際、メーカーにも非がある場合を当然考えに入れないといけないでしょうが、その点については個別に当事者間の民事訴訟などで解決してくれ、というのが法理であると考えられます。

 

 

2011年4月11日

 第一審の判決が出ました。今日の分だけは、このページの先頭に記載します。

 

 

2011年4月20日

 天野さんが、文部科学大臣に対して公開質問状を内容証明郵便で送られました。司法記者クラブに公開するとともに、ご自身のウェブサイトでも公開しておられます。これが天野さんの真の意図でしたが、報道は補償金額にかたよっていました。

http://www.ne.jp/asahi/kanmu/heishi/openletter2mext.html

 

 引用しておきますと(コピー&ペーストしたら組み方が変になりました):

 

文化功労者選定に関する公開質問状

 

                         平成23年4月19日

東京都千代田区霞が関3−2−2文部科学省
文部科学大臣 木義明殿

                         天野眞家

    文化功労者選定に関する公開質問状

冠省 平成18年度文化功労者として元株式会社東芝社員の

森健一氏が顕彰されています。文部科学省がアこの方を選定

した事由、イその事由において選定に用いた証拠、ウ文化功

労者として適切であると判断した根拠につき、この公開質問

状をもってお尋ね致します。平成23年4月8日の東京地方

裁判所「平成19年(ワ)第32793号」判決において、

日本語ワードプロセッサの発明に森健一氏の技術的貢献は皆

無と認定されました。森健一氏が日本語ワードプロセッサに

何らかの貢献をした事を証する学術的痕跡のみならず他の如

何なる証拠も存在しておりません。この訴訟においてもその

ような証拠は提出されておりません。従いまして、文化功労

者としての顕彰には重大な疑義が存在します。

 文化功労者には年金がついており、納税者を代表して納得の

いく回答を求めます。

                              草々

 

 

2011年6月14日

 天野さんは、たまに弁護士さんと打ち合わせをしておられるそうです。控訴中です。

 ぼくも雑用で忙しくて、自分の仕事がなかなか進みませんでしたが、やっと本の執筆でも本格化させようかという気になってきました。

 

 

2012年10月26日

 裁判が終わってしまったので、あまりにも久しぶりに書きます。

 先日、「天野真家」でグーグル検索を行いました。そうしたら、340万件という検索結果が返ってきて驚きました。時間をおいて何度かやってみると、ぼくが見た最高は446万件でした。最低で72万件台です。グーグル側のどのサーバにつながるかによって異なる値になるのでしょうね。

 ちなみに「明石家さんま」320万件に勝っています。「山中伸弥」242万件にも勝っています(そのうち負けるでしょう)。青色LEDの「中村修二」さんで16.7万件、ノーベル賞の「益川敏英」さんで29.2万件。日本語ワープロで文化功労者の栄誉をかすめ取っていった「森健一」がたった3.72万件でした。

 あまりにも「天野真家」が多いのですが、グーグル検索のバグか? それともほんとうに爆発的に増加したのでしょうか? 驚きました。

 

 

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