大阪・関西万博は大失敗する

会場も、計画も、袋小路だ

2024620

逢沢

#万博大失敗

 

■大災害で逃げられない

 2025年の大阪・関西万博の会場となる夢洲(ゆめしま)は「袋小路」です。報道されてきたように、「交通アクセス手段」がごく限られています。

 行かないことをお勧めします。入場したら、不時に出られない恐れがあります。

 ようやく問題化してきましたが、もし「南海トラフ地震」が襲ったらどうしますか? 橋も地下道もいきなり警察が封鎖します。安全を確認するためだと称します。自動車や地下鉄どころか、歩行者も通れません。

 2840万人が184日間の会期中に来場する計画ですので、平均して115万人以上です。混んでいる日はその2倍の「30万人」以上が閉じ込められるでしょう。主催者は最高23万人台や28万人台を予想しますが、その数字はお決まりのご都合主義にちがいなく、それ以上来場すると施設がパンクしかねないからという意味にすぎないでしょう。

 政治家や役所は、その種のまずい情報を、なるべく世の中に出さないように隠蔽してきました。この文章を書き終える今日になってやっと、「南海トラフ地震」や「津波」および地盤の「液状化」への防災計画がマスコミに発表され始めました。ここで書いていることに比べて、あまりにも不完全ですが。

 インターネットの新聞サイトでは、万博の入場者数がさらに激減することを懸念しての忖度か、詳しい記事が不足しています。字数が比較的多かったのは下記の記事です。

https://www.sankei.com/article/20240619-5EBET3P7H5KNRPWY4YCD5IRANQ/#:~:text=%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%92%EF%BC%95%E5%B9%B4%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%83%BB%E9%96%A2%E8%A5%BF%E4%B8%87%E5%8D%9A%E3%81%AE%E9%81%8B%E5%96%B6%E4%B8%BB%E4%BD%93%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B,%E8%88%B9%E8%88%B6%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%A7%E9%81%BF%E9%9B%A3%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%80%82

 手元の紙媒体では、本日付の京都新聞の朝刊が、共同通信の配信と思われる記事を比較的大きく掲載しています。

 しかしお役所仕事ですから、ある程度詳しい防災計画書は当分公開されそうもないようで、202312月の「防災基本計画(初版)」のままです。どこが作ったものかも書かない計画書ですが、「公益社団法人2025年日本国際博覧会協会」が発表しました。

https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/uploads/1226_n01_Bousai-Kihon-Keikaku.pdf

 南海トラフ地震の防災問題をついに発表せざるをえなくなったのは、東京新聞の202459日付の記事など、マスコミがかなり問題視し始めていたからでしょう。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/325895

 最大級の南海トラフ地震の際、万博地区の震度は6弱と想定されます。内陸の梅田地区でも、2メートル級の津波が押し寄せると予想されます。大阪湾のゴミ埋立地だった夢洲にいて、皆さんは助かるものでしょうか。たった50センチの津波でも、誰もが立っていられずに流されてしまいます。

https://www.expo2025.or.jp/news/news-20231226-01/

 初版の計画書の中では、「会場の大部分は液状化が起こらない想定となっている」と明記しています。「大部分」と「想定」という逃げ口上をわざわざ組み込んでいるため、「起こるかもしれない」と認識していたと推測すべきです。

 しかもその直前の2023124日、各メディアがとんでもないニュースを報じました。同じ夢洲で万博会場の北隣に位置する「統語型リゾート(IR)」つまりカジノの計画地で、この日の「液状化対策工事の着手」を明らかにしたのです。

https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20231204/2000080147.html

 カジノの民間事業者が2020年に行ったボーリング調査で、液状化リスクが判明していたためで、大阪市が255億円の全額負担で、21万平方メートルのセメント注入工事を実施するというのです。建物を建てる場所に限った工事ですが、わざわざ液状化しそうな場所を選んで建てるはずもないから、いかにも妙な話です。

 もし夢洲全体390万平方メートルもの液状化対策工事を行ったら、単純な比例計算では4700億円もかかります。万博の会場建設費は、3度目の試算で2350億円に膨らんでいますが、この工事を追加したら、さらに3倍の予算になってしまいます。だから「液状化は想定しない」と強弁せざるをえなかったのでしょう。

 液状化リスクでさえこの隠蔽ぶりですから、「津波」に対する安全性はどれほど信用できるものでしょうか。南海トラフ地震の死者数は当初は「32.3万人」と予想され、2019年度の中央防災会議では「24.2万人」と予想されました。対策が進んだためとしています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%95%E5%B7%A8%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87

 ところが30万人が押しかけた万博会場が袋小路で、逃げ道もなかったとしたら、死者はどれほど増えるものでしょうか。東日本大震災では、死因の9割以上が津波による溺死でした。

 すなわち津波は最大のリスクですから、万博の主催者側としては、そのリスクを隠蔽しようとする傾向が顕著になっていたようです。地下から出たメタンガスによる爆発事故でさえ、コンクリートが吹き飛んだ写真を当初は公表せずに遅れました。その程度の被害ではなく、天井まで破損していました。それを業者が報告しなかったと業者のせいにしています。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF229QQ0S4A520C2000000/

 津波のリスクに関しては、万博開催が決まった当時のハザードマップでは、夢洲はまったくリスクゼロにしていました。さすがにそれでは信用されないと思ったのか、20244月には、下記の地図で此花区の先端に位置する夢洲は、端の部分だけがわずかに浸水するとしています。

https://www.city.osaka.lg.jp/kikikanrishitsu/cmsfiles/contents/0000299/299877/nankaitorafu.png

https://www.city.osaka.lg.jp/kikikanrishitsu/page/0000299877.html

 なぜ津波の被害がわずかだと想定しているかというと、その根拠として夢洲は海面から「11メートル」嵩上げしているからだというのが理由です。元がゴミ捨て場で、山ほどゴミを運び込んだため、高さが十分だというのです。

 予想される津波は、大阪湾岸で「45メートル」程度です。しかし海の表面だけが揺れる高波なら避けられますが、津波は大量の海水の塊として押し寄せます。夢洲の周りの水路が狭いと、水路部分で海面が大きく盛り上がります。リアス式海岸が非常に危険なのと同様です。そのコンピューターシミュレーションなど恐ろしくてやっていないでしょう。

 大津波が襲来しても助かる保証はない、と考えた方がよさそうです。メタンガスが爆発した程度の小さな事故でも隠しますし、液状化もしかりです。だからこれほどの大被害の可能性となると、万博の主催者は隠しまくるにちがいないと疑わねばならないでしょう。

 

■助かる方法は限られる

 万博協会では「15万人」が取り残され、救出に「3日間」かかるとしています。食料は「60万回分」を備蓄します。もし30万人なら、食料はまるで足りませんし、脱出するまでに3日間では済みません。

 他の人工島と結ぶ橋やトンネルは耐震化されていて、致命的被害の可能性は低いが、一定期間の通行止めが起こりえます。万博会場は仮設の建物群ですから、もちろん協会側がその耐震安全性をはっきり述べるはずがありません。

 どなたも助かりたいでしょうからお伝えしておきますが、必ずしもはるか遠くまで逃げる必要はありません。津波の高さが5メートル程度なら、手近な場所で「3階以上」の高さに逃げられれば助かる可能性が高いです。地震発生から津波の到達まで「1時間50分」程度だと予測されています。

 地下鉄や地下道に逃げるのは,水没の恐れがあるため危険です。30万人が地下鉄だけに殺到した場合、1回の輸送は1000人ほどですから、300回もかかるので不可能です。しかも地下をどこまで行っても浸水するでしょうから、東の咲洲(さきしま)方面へ逃げるのはやめた方がよさそうです。

 一方、北側の舞洲(まいしま)方面へ橋を渡って、3階以上の建物に逃げ込めれば、助かる確率が高そうです。しかし30万人ともなると、どこにそんな場所があるのでしょうか。

 ただし万博会場内には「リング」や「大屋根」と呼ぶ巨大な仮設建築物があります。高さは12メートルで、4階建ての屋上程度。しかも屋根の上は遊歩道です。そこへ上れば、津波をやり過ごすことができそうです。

https://www.expo2025.or.jp/news/news-20220713-01/

 しかしあくまで仮設建築物です。コンクリートの基礎に固定されているわけではありません。大地震でガタガタと位置ずれを起こし、倒壊する恐れさえありそうです。阪神・淡路大震災では、高架の高速道路があえなく横倒しになりましたし、それよりはるかにヤワなリングですから、大いに不安が募ります。

 しかも、たとえ大屋根がおおむね無傷でも、どうやってそこに上るかが大問題です。エスカレーターを北と東の2か所に確認できます。エレベーターもその辺りにあるのでしょうが、それですべてかもしれません。

https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/uploads/2400530_wakate1_hokutou1.pdf

https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/uploads/2400530_wakate2_hokutou2.pdf

 エスカレーターで1分間に100人程度が上がれるとして、1時間に6000人。それが2か所では、津波到達までに2万人ほどしか大屋根に避難できません。さらに停電でエスカレーターは止まっている可能性が高く、5階程度の高さまで自力で上る必要があります。しかも真夏なら、炎天下の日ざらしで、熱中症の危険姓が非常に大きくなります。

 さらに、大屋根には落雷の危険があることに事務局はようやく気づきました。東京オリンピックの国立競技場に聖火台を忘れたお役所仕事や建築家と同レベルで、いつもながらの失敗の繰り返しです。避雷針は45度の円錐形程度しか守れませんので、無数に設置する必要があります。それとも会場の中央にスカイツリー級を1本建ててカバーしますか? ただし大屋根の上が危険なだけではありません。電流は材木を伝って地中まで流れます。普段でも、猛烈な夕立が降ってきた際は、雨宿りでリングの下に入るのは非常に危険です。

 そんなわけで、多くの人は津波から逃げきれず、その他の災厄を含めて、この離れ小島でとんでもない惨劇に見舞われかねません。万一を考えるなら、万博には行かないことをお勧めします。

 南海トラフ地震に関しては、ウィキペディアでは、「30年以内」の発生確率が、20131月時点で「6070%」、20181月時点で「7080%」と書いています。万博の開催年の2025年には、2018年予測から7年も経過していますので、発生確率はさらに上がっているはずです。

 地震学者は多額の研究予算を分捕りたがって、大げさな予想を流布したがりますが、万博のような巨大プロジェクトに異論を唱えることはないようです。そのリスクは喫緊の非常に重要な問題にもかかわらず、国の計画に口出ししたら、研究予算が日干しにされることを恐れての忖度でしょうか。

 また銃乱射テロや爆弾テロや化学テロなど、さまざまな騒動が起こりえます。万一の際の逃げ道を考えていず、杜撰きわまる運営主体であることは明らかですから、来場した方はくれぐれもご注意ください。

 

1970年万博と比較する

 構想という点で、1970年の日本万国博覧会と比較すると、今回の計画のお粗末さが明らかになります。前者は「大阪万博」や「エクスポ70」と呼びならわされ、今回の2025年万博は大阪・関西万博(公式略称)とも呼ばれますが、ここでは区別しやすくする意味で、後者を関西万博と呼ぶことにします。正式には「2025年日本国際博覧会」です。

 70年万博の要約は以下のサイトに記載されています。

https://www.expo70-park.jp/cause/expo/

 一方、今回の関西万博の基本計画は以下のようなものです。

https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/themes/expo2025orjp_2022/assets/pdf/masterplan/expo2025_masterplan.pdf

 70年大阪万博では「お祭り広場」が成功の象徴でした。他方、今回の関西万博の中央部は「静けさの森」ですから、どうも沈滞の象徴でありそうです。上記の要約を見ていただくと、お祭り広場における「太陽の塔」が、70年万博の記憶に強く刻み込まれていることがわかります。当時の熱気が今も伝わってきます。

 対するに、今回の関西万博では、全周2キロメートルの「リング」あるいは「大屋根」が取り囲みます。そのリングは344億円もかけていますが、バラック状態の仮設建築物のままで完成です。白木製なのか、開場時期には表面が劣化して、もはや減価償却状態という見かけでしょうか。木でできた割り箸やつま楊枝さえなくしたいという時勢に、エコな考え方に逆行して、巨額予算を注ぎ込んでしまいました。

 そんなわけで、「沈滞の象徴」と「バラックの囲い」という、耳も目も疑う金食い計画のゆえにか、あまりにも期待が盛り上がらない万博となっています。

 その大きな理由としては、単に「架空の経済効果」だけで、しかも法律や制度を作る延長で、「紙の書類さえ作れば事足れり」という無責任な立案だからでしょうか。「いいものを見せてやるから、行儀良く並んで見にこい」という程度の意識の政治家たちがいるのでしょう。計画に血が通わないのに、これで素晴らしいのだと言い張るだけですから、ますます失敗計画に金食い虫のリングが輪をかけてしまいます。

 万国博という精神にもとります。会場の中央部の企画はあまりにも取って付けただけの万国構想で、自己満足的なだけでバラバラの空中分解状態という印象を与えます。各国のパビリオンのどこかが気を吐いてくれて、なんとか救いになってほしいものです。

 70年万博の「お祭り広場」では、当初は珍妙なとも思われた「太陽の塔」が象徴として現在まで生き残りました。しかも近年が「グローバルサウス」の時代となりつつあることに気づけば、50年を経て時代を見事に先取りできた成功企画だったという印象を再確認されることでしょう。

 しかし今回は「静けさの森」という沈滞バラバラ企画ですから、未来の理念をまるで履き違えた人たちで企画したかのようです。架空の経済効果しか大多数の関係者の意識にはないらしく、それも捏造した金額にすぎず、やがて結果の評価も超厚化粧のみっともない自己満足的報告で終わるのでしょう。こういう企画に潜り込む利権集団は金の亡者で、決まって狭量な人物だらけです。

 

■過去のテーマは「人類の進歩と調和」

 70年大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。英訳は「Progress and Harmony for Mankind」でした。「of」ではありません。「ための」という語感を強めたのでしょう。「mankind」を使ったのが残念で、現在なら中性的な「humankind」を使うでしょう。

 このテーマに決まっていく過程では、民間の私的な研究会だった「万博を考える会」が大きな役割を果たしました。民俗学者・文明学者の梅棹忠夫氏や、SF作家の小松左京氏など、関西勢が勝手に議論し始めた研究会でした。

 私の記憶では、佐藤栄作首相の万博での開会の挨拶は梅棹氏が起草しました。万博の跡地に国立民族学博物館が建設されて、その館長に就任したのも同氏でしたから、彼の貢献が最も大きかったにちがいありません。

 当時は「調和」という言葉がマスコミで騒がれました。なぜこの言葉が入ったのかという問題意識でした。世界の発展には調和を欠いている部分が多々あるから、それをなんとかしたいという理想を掲げたわけです。この言葉の重要性は歴史が証明してくれるものですが、先駆的で正しかったようです。

 一方、2025年関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」です。英訳は「Designing Future Society for Our Lives」です。スローガンとしてかなり落ちる印象です。万博のテーマですから、「未来社会」も「デザイン」も本来は冗語です。「輝く」を英語に反映できていません。小役人程度の面々が議論して決めたのでしょうか? 世界から見放されそうなほど下手くそです。

 しかも計画が進んで、箱物に多額の予算が投入されるにつれて、たった一つのキーワードである「いのち」を履き違えているという印象を与えています。小学校の作文で「こう書かないと減点される」という程度の問題意識しか反映されていないかのようです。だとすると、今回の万博は「小学校の学芸会レベルよりつまらない」ものになりかねません。この件はより詳しく後述します。

 70年大阪万博では、改札口を出ると、大きな「太陽の塔」が見えていました。岡本太郎氏の作品でした。「お祭り広場」の大屋根を設計中だった丹下健三氏に対して、「屋根を突き破って見せたいから、穴を開けてくれ」と要求しました。丹下氏が驚きながらも承諾して、「芸術は爆発だ」を体現することになりました。当時の会場配置はこんな感じです。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kaigadou/EXPOmap.htm

 各国のパビリオンや国内館がぎっしりですが、どう見てもお祭り広場が中心で、そこで太陽の塔が異彩を放っていました。当時の来館者に強烈な印象を与えたでしょう。「日本意匠」にも「欧米意匠」にもしなかった見識は立派で、万国博とはこういうものなのかという衝撃を与えました。50年後に振り返っても、当時の万博のテーマ性を見事に体現しています。

 お祭り広場では各国の芸能や日本の伝統芸能などの交流が盛んに行われました。必ずしもうまくいかなかったなどと批判されますが、半年間でそんなにうまく交流できるものでもなく、方向性を示しておくしかなかったでしょう。

 当時の万博の展示物では、アメリカ館の「月の石」が最大の見ものでした。1903年にライト兄弟が動力飛行機で初めて空を飛んでから、たった60年余りで人類は月まで往復飛行に成功しました。そんな人類文明の最高の到達点が、見かけはただの石ころでしたが、それを一目見ようという人々が押しかけました。

 また70年万博でいまだに話題に上るのが、どういうわけか、サンヨー館の「人間洗濯機」でした。三洋電機は気の毒にもすでに名前が消滅した家電会社ですが、そのデモンストレーションを行いました。大阪人は「あほらし」と言いながらも、そんな見世物を喜べるハッピーな時代でした。祭りで一部の露店のあほらしさに通じるからか、万博という世紀の祭りの記憶に残ったのでしょう。

 総入場者数は「6421万人」です。日本の人口の半分という多さです。外国人入場者は170万人でした。世界が見える、未来が見える、いろいろ交流できるらしいと、行くか行かないかより、行って当たり前の雰囲気が庶民にはとても強かったと思います。入場料は800円、当時の私は学割で600円、1日の食費程度の小銭といった金額でした。

 万博ごときに極端な成果を要求することはできません。「進歩」は見せたし、「調和」という重要な方向性を示し、なにぶんにも納税者に十分な納得感と満足感をもたらしたという点で、1970年の大阪万博は大成功だったといえるでしょう。

 元は経済官僚たちが、日本の輸出振興に利用しようと画策した構想でした。しかし関西の一言居士たちともいえる民間で、楽しくて意義ある催しに仕立て直してくれました。

 跡地の民博(国立民俗学博物館)は成功したのかと批判されそうですが、梅棹氏も個人的に「博物館はあかんなあ」と吐露していたことがあります。阪神・淡路大震災の復興計画以来、ときどきご一緒していたときの言葉です。そもそも細々と運営していくべき施設でしょう。私だったら「先端技術解剖ランド」でも併設して、先端技術の中身が小学生でもわかる遊び場を開いてみたかったです。

 ただ当時の大阪万博が大成功だったと胸を張れそうなのは、再言すれば、50年余を経過して、そのテーマが陳腐化せずに生き残り、万博自体が十分な先見性を示しえたからでしょう。当時は妙なことをすると批判もあったでしょうが、根本で見当外れではなかったわけです。

 

■関西万博の無責任ぶりと不人気ぶり

 先ほどから「小役人程度」と言っていますが、70年万博に比べて、今回の関西万博では、あまりにもお粗末なテーマを設定しました。それでは計画が袋小路をさまよいます。「いのち輝く未来社会のデザイン」と冗語だらけで、英語訳もまともに作れませんでした。しかもどこで誰が作ったのかも不明という無責任ぶりです。

 関係者たちが軒並み責任逃れの三流どころかと思わせてしまうのは、「リング」の設置過程にも如実に表れています。全長2キロメートルにも及び、建設に344億円もぶち込みました。

 みっともないバラック建築だと呆れていたら、建築のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞した山本理顕氏も、週刊新潮2024516日号で批判しました。「誰の設計かもわからず、コンペの審査が驚くほど杜撰」だというのです。「責任者不在の万博」という趣旨の批判でした。

 リングはデザインプロデューサーがたまたあ発案したのかもしれませんが、設計も含めた施工業者の選定理由はたった3行で、しかも実質2行未満の字数にすぎません。「簡素な木構造で、リユースにも繋がる」と「多様性・賑わい・快適性に繋がる」という薄弱で無意味に近い選定理由だけで、340億円以上の支出を決めました。「施工会社に丸投げ」という見出しが躍っています。

 加えて、元は貫(ぬき)構造といって、釘やボルトを使わない組み方での設計でした。建築基準法で認められない構造で、ゼネコンは金物で補強することにしました。しかしなにぶんにも軟弱地盤上の仮設建築物です。誰しもそのそばには近寄りたくないでしょう。「あまりにも無謀だ」という見出しがその気持ちを代弁しています。

 予算さえ大きければ土建業者が喜ぶからと、怪しげな利権屋政治家が暗躍したとしか思えないほど無用の長物状態ではないでしょうか。見返りの政治献金ほしさにねじ込んだのかと思われかねません。あまりにも陳腐な巨大構造物です。

 そんなわけで、三流以下かという人々が群れているとしか思えない「エセ万博」でしょうから、国民的機運がさっぱり盛り上がりません。自分は儲かると思う人以外は、観光公害で迷惑をこうむるという人たち、さっぱり興味が湧かない人たち、マスコミの冷ややかな報道をたまに横目で見るだけの人たちなどなど、マイナス側の人たちが圧倒的に多いというよりは、ますます増え続けている状態でしょう。

 開会300日前の時点で、前売り券の売れ行きは目標入場者数の1割にも達していません。売り出してから200日も経っています。しかも万博関係者によれば、企業が9割を買い込んでいて、個人がほとんど買わないと報道されています。だとすると、個人は目標入場者数の1%分ほどしか買っていないことになります。まったくもっての不人気ぶりです。

 

■大失敗テーマがさらに空中分解

 お粗末な「いのち輝く未来社会のデザイン」という袋小路状態のテーマですが、テーマに魂が入っていないから、その先の企画がことごとく空中分解を遂げていきかねません。実際、無責任かつひどいことになっているかと思われます。

 関西万博の「基本計画」はサイトやPDFファイルをご覧いただくとして、先ほども引用したPDF1617ページ目に会場の地図があります。東側の入り口から入っても、メインとなるはずのテーマ館群はそこにはありません。自動車で来場して、西から入っても、そこにもありません。

https://www.expo2025.or.jp/overview/masterplan/

https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/themes/expo2025orjp_2022/assets/pdf/masterplan/expo2025_masterplan.pdf

 動線が悪くてしょうがないという会場の中央部を「静けさの森」が邪魔しています。急ごしらえの雑木林を見るために料金を払うのも憂鬱ですし。その周りのパビリオン群も空き地だらけになってしまう恐れが強いのです。

 当初は60か国が自前で建設するはずだったタイプAパビリオンは、20246月になっても未着工が22という状態です。14か国は建設業者さえ決まっていません。外観を遅くとも10月中旬には完成してほしい、と万博協会側が要請していたのにです。タイプXというプレハブを建てるから、そちらに移ってくれとしたのも、25棟から9棟に減らしたにもかかわらず、3か国しか入らず、数十億円の赤字状態です。

 そして今回の万博で中心部を占める8つの「テーマ館」ですが、いくつかの分野から8人を選んで、それぞれバラバラに造らせているだけで、何の統一感もなければ、テーマとほぼ無関係で貧弱な構想にすぎないような建物がいくつもできてしまいそうです。誰がこの8人をどういう選考によって選んだのかは不明で、ミスキャストが多そうに思えます。選ばれた側も、そんなことにバラマキ予算を使わされるのかと迷惑しているかもしれません。

 上記の「基本計画」のPDFファイルでは、「共創」をいう言葉をしつこく33回も多用しています。よほど気に入ったのでしょうが、8つのテーマ館を互いに共創させようとする気は皆無に近かったようです。この言葉を使っているテーマ館もありますが、この状態では無意味語になってしまいます。

 テーマ館事業のことを正式には「シグネチャープロジェクト」と呼んでいます。誰もわからないような意味不明な呼び方で、配慮に欠け過ぎています。おそらくプロデューサー名が入った署名入りのテーマ館だという意味なのでしょう。ただ一応は「いのちの輝きプロジェクト」とも呼んでいます。下記で各テーマ館の概要もわかります。

https://www.expo2025.or.jp/overview/project/

 しかし個々のテーマ館によっては、小学生ではもちろん意味不明だし、大人でもわからない言葉を平気で使っていたりするところがあります。配慮に欠けたプロデューサーたちをかなり選んでしまったという印象です。そんな人々から「共に創造しよう」と言われても、誰もついて行けない独善的なテーマ館になってしまいます。

 だというのに、政治家は「いいものを見せてやるから、行儀良く並んで見ていけ」状態では、来館者は頭の中がハテナ状態のままだったり、退屈しきったり、拒絶状態に陥ってしまいます。通り過ぎるのも苦痛なテーマ館だ、と不満だらけになってしまいかねないでしょう。

 この万博計画を見ていると、2020年の東京オリンピックの開会式が、どうしようもないほどつまらない惨状に終わってしまったことを想起させます。

 東京五輪の開会式には、元はまともな企画がありました。週刊文春202185日号などによれば、国際オリンピック委員会(IOC)のセレモニー担当者が「よくここまで作り上げた」と絶賛していました。いわゆる「チームPerfume」によるシナリオでした。Perfumeとは歌手のグループ名です。文春記事の引用をたどると、48日号と325日号にも先駆けた記事があり、似たようなことが書かれていました。

 私などはチームPerfumeと聞いただけで、「それなら日本最高のチームだ」と確信しました。私がかつて京大で人工知能の進歩をビデオで見せる授業日にも、その前の休憩時間中にPerfumeのビデオを流しておくのが通例だったからです。このテクノポップのアーティストたちは、人間と機械とが共生する時代をなにか先取りできていると感じたからでした。チームリーダーはMIKIKO氏という振付家。Perfume3人がデビューする前、小学生時代からの指導者でした。

 ところが、オリンピック計画のボスが利権まみれとされてきた森喜朗でした。自分の知り合いのろくでもない企画にそれを差し替えてしまいました。なにしろ自民党の裏金疑惑でも、あいつこそが張本人だ、とマスコミで書かれがちな人物でしたから。私もビデオで開会式を見せてもらいましたが、その出来の悪さにうんざりしました。

 それと同様のうんざりぶりを予感させるのが、今回の関西万博の計画です。誰がメンバーを押し込んできたのかという烏合の衆状態かと思われ、全体に主導的な影響を与える人物の名前がさっぱり出てきません。

 そもそも国家プロジェクトだから担当大臣がいますが、お飾りの存在のようです。他の大臣が出てくることもあれば、大阪府市にほぼ任せきりのような印象を与えます。吉村洋文知事がマスコミの相手を一手に行っていますが、その大阪府市も責任を持つ立場ではないかもしれず、万博協会を責任者だと逃げを打つかもしれません。責任者不在の国家プロジェクトになり果ててしまっています。

 

■いのちにおける偶発と共生

 関西万博のテーマである「いのち輝く未来社会のデザイン」の問題点をより詳しく取り上げておきましょう。文科省の学習指導要領に「個性が輝く」といった目標を設定していたものがありましたから、「輝く」はそこからの安易な流用でしょうか。

 未来社会のデザインは冗語で、「いのち」に焦点が絞られます。試しにChatGPTに「『いのち輝く』という言葉の本質を何と答えればよいでしょうか。」と質問してみました。すると次のような答えが返りました。

 「『いのち輝く』という言葉の本質は、生命そのものが持つ輝きや輝く力を表現しています。これは、生きること自体が素晴らしく、それぞれの個体が持つ可能性や美しさを指しています。また、人々が自らの存在や行動を通じて、他者や世界に明るさや喜びをもたらすことも含まれます。つまり、『いのち輝く』とは、生命の尊さや豊かさ、そしてその生命が放つ輝きや光を意味します。」

 これをレポート課題に出していて、もし私が採点するなら、ChatGPT君には非常に良い点数をつけます。可能性や喜びなどのふさわしい言葉をうまく凝縮して要約しているからです。東大生や京大生でも自力ではなかなかこの水準まで書けません。

 一方、万博側は何点かというと、60点台程度でしょう。手垢が付いた言葉だらけで、読む者に訴える力がほとんどなさそうだからです。おそらく「植物」ならよかろうと、「グリーン」や「エコ」なつもりでしょう。「地球環境」や「持続可能な開発目標(SDGs)」や「多様性」や「先端技術」など、学校的な概念。それにどういうわけか「共創」が気に入っているようです。全体として輝いていず、自己満足的で、質問の趣旨を正確に捉えきれていません。

 万博の主催者側からの一般向けメッセージとするなら、当然ながらChatGPTを十分に超えた表現力が必要です。

 表現力という点で、たとえば知り合いがNHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」で放送された「ルート66」という番組のビデオを見せてくれました。道路一本でアメリカのモータリゼ―ション時代以降の歴史をドキュメンタリー化したのですが、制作者の教養レベルの高さに感心しました。

 ルート66といえば、私はナット・キング・コールのごきげんな名唱「(Get Your Kicks On) Route 66(意訳:ルート66で弾けよう)を即座に思い浮かべます。ボニーとクライド(映画「俺たちに明日はない」が有名)、大恐慌時代の『怒りの葡萄』などなどをちりばめます。アメリカの第二の国歌ともされる「This Land is Your Land」を私は学校をエスケープして、ジョーン・バエズの来日コンサートで聴いた記憶がありました。

 道路一本の歴史を感動と詩情で仕立てて、そうだ、あのサブカル映画もこの道路だったし、日系人の強制収容所など人種差別時代もあった、マクドナルドの由来はルート66とともにあったと知って、感心しきりでした。

 番組のエンドロールはほぼアメリカの番組から引用一色といった感じで、NHKにこれを自作できる人材はいそうにありませんでした。同様に今回の万博には梅棹忠夫氏や小松左京氏などの人材はいず、学校秀才程度かちょっと名前が売れた人程度でしょうか。少なくとも50年後の文明社会を見通し、それを強烈なほどの印象をもって反映できる人物は皆無だったようです。

 「いのち」や「愛」は娯楽作品で必ずテーマに組み込まれるほどで、お手軽かつごく便利なキーワードですが、「いのち」は実は非常に難しい疑念です。

 私は生命進化の数学理論を研究していたから、その一端に気づきましたが、「偶発」や「カオス」といった概念を避けては通れないでしょう。いのちを輝かせているのは、そんな偶発的で何が起こるかわからない生命進化という現象が本質的だからです。

 偶発やカオスは、1970年の大阪万博の時代なら、さしずめ「ハプニング」という流行語に一致していたかと思います。岡本太郎氏の太陽の塔が、万博会場でのハプニングであって、あの巨大な塔が人類が文明という段階にまで至りえた大もとを表現しえていたわけです。その足元で「お祭り」というカオス的な催しが頻繁に開催されました。

 ところが今回の関西万博に関与している政治家たちは、当然ながら偶発などの言葉を嫌うでしょう。偶発の根底には「自由」がありますが、本当は自由を嫌っていて、自分たちの思い通りになる「秩序」しか認めたがらない政治家たちの顔をちらつく気がするからです。それではいのちは輝けません。

 近代社会は歴史上の偶発によって自由を獲得し、人間本来のいのちを輝かせてきました。しかしジョージ・オーウェルの『1984年』という作品のように、そこにいる政治家たちはまったく裏返しの世界を信奉しているのかもしれません。

 さらに70年万博と異なって、今回の関西万博がその先50年を的確に見通すためには、飛躍的進化を遂げ続けるコンピューター技術に裏付けられた「機械との共生」が、すでに非常に深刻な段階に至っていることを忘れるわけにはいきません。チームPerfumeに触れたのは、彼女たちや彼らの大衆芸術がその深刻な問題を内包していると思うからです。

 コンピューターに対抗できるほどのパフォーマンスを人間が行うためには、3人組で至難ともいえるほど複雑な振付を間違いなく覚えて演じ続けなければなりません。3人がほとんど乱れずに踊るのですから、その努力は常人をはるかにかけ離れているだろうと思います。コンピューター時代に、人間のいのちが輝き続けるのは、極めて大変なのです。

 手軽な方法では、人間がコンピューター技術の助けを借りるという表現形式のテクノポップがあります。しかし人間にとって深刻な時代が訪れていると知って見る人にとっては、人間が敗北しているパフォーマンスだと感じられるでしょう。ChatGPTの回答をそのまま報告書に流用して、知性面で人工知能に降参してしまっている敗北者たちが激増しているのと同様です。

 この問題に多少は接近できているテーマ館もありますが、問題意識がはっきりしているとはいいきれません。まだまだ見世物小屋のレベルでしょうか。50年後に大いに評価される万博にはなかなかなりづらいのです。

 思い返すと、数十年前の人類文明は確かにこれほど深刻な状態ではありませんでした。アナログ時代の大衆的な芸能などをユーチューブでチェックしていると、それに気づきます。たった1曲の放送だけのために巨大なセットを組み、ド派手な衣装を用意しても、そんな人工物群にまったく負けずに、人間が輝いていられる稀代のアイドルなどがいました。小泉今日子さんが代表格だったでしょう。

 そんな40年前はまだ人間にとってはハッピーな時代だったと思います。しかし当時生まれた人々は、就職氷河期の犠牲者として、苦難な時代へと船出することになったのです。それは時代の大きな転換点でした。

 

■別のテーマ案もある

 私は批判的な文章を書いていても、必ず建設的なプランを用意していて、それを書き加えておくか、遅くとも続編では披露する習慣です。もちろん今回も入場者数を飛躍的に増やせる可能性を持つ建設的なプランを考え済みです。

 しかし今回の関西万博は災害対策があまりにも不十分なため、そんなプランをここで公開するわけにはいきません。しかももし公開して採用されても、おそらくろくでもない政治家たちが自分の手柄かのように吹聴するだけでしょう。

 そんなわけで、この関西万博が大失敗だったことが明々白々になってから、アイデアを追加して公開したいと思います。ただしアイデアのヒントはすでに書いておきましたから、自分で考えたい方は考えてみてください。

 ここでは「いのち輝く未来社会のデザイン」という三流っぽいテーマに代えて、独自のテーマ案を単に参考程度に提案しておきましょう。ついでという意味での提案です。この原案からさらに練り上げることが可能でしょうが、採用される時期はとっくに失しています。

 私のテーマ案は「共助による発展と平和」です。

 「共助」の英訳がかなり問題で、「reciprocity」を外交分野では「互恵」と訳しますが、その英語に馴染みがない上に多義的で使いにくいです。数学では「reciprocal」は「逆数」を意味しますから、この英訳を理解できる人はほとんどいないでしょう。

 そんなわけで英訳は「Cooperation for Progress and Peace」程度にしておきます。

 ここで「共助」としているのは、50年後を睨んで、もう争いの時代をやめてほしいと強く願うからです。それとともに、政治腐敗が進みすぎたどこかの国は、GDPの何倍もの借金財政で、今回の万博にも無駄金を注ぎ込みすぎた結果、あえなく財政破綻を招いてしまうかもしれません。共助とは各国から助けてもらえる手立てのつもりでもあります。

 しかしこのテーマ案には、一部の政治家たちが強い異論を唱えそうな部分があります。わざわざそんな「踏み絵」の言葉を入れておきました。「平和」という言葉を是が非でも入れさせないという、狂気の政治家たちがなんと多い時代になったことでしょうか。

 原爆でさえ、戦争を起こさせないための抑止力であって、平和のための武器と称するでしょうから、そういう人々も平和を大歓迎のはずではないのですか。

 このテーマ案の精神は、1970年大阪万博の「人類の進歩と調和」とほぼ同路線です。「調和」が「共助」と「平和」と具体化されました。当時でさえなるべく抽象的な言葉にしておかないと、その後の政治家たちが嫌がると案じたのでしょうか。すでに50年以上も経ったのですから、そろそろはっきり書いてはいかがですか。

 そんなわけで、今回の2025年大阪・関西万博が大失敗して、それがオーウェルによる暗黒の反転世界観に対して、まさに現実世界での予兆になりえていた、などとならないことを願うばかりです。そんな言葉をこの文章の結論にしておきたいと思います。

 

■著者の最新刊

逢沢明、『新版 ゲーム理論トレーニング』、かんき出版、20245月刊

 

(注)この文章はほぼベタ書きのメモでした。読みやすいように見かけを自由に編集されて、どこかのサイトで再掲載されてもかまいません。ただ著作権は放棄していません。年寄りのメモですから、誤字脱字、引用文献漏れ、思い違い、当てこすり、認知症すれすれ症状などはご容赦ください。わずかな部分ぐらいにいいことを書いているかもしれません。

inserted by FC2 system